第39回を迎えた読書会、現代ウクライナ文学の名作『巨匠とマルガリータ』(ミハイル・ブルガーコフ著)を取り上げた。
2月からのロシア・ウクライナ戦争という時流を鑑み、本作を取り上げることにした。その民族のメンタリティを知るためには文学がいちばんという意図もある。
ウクライナ文学といえばご存じニコライ・ゴーゴリが横綱である。ドストエフスキーに多大な影響を与えたというウクライナの大詩人である。
ウクライナと聞くだけで個人的にはゴーゴリのイメージが強烈で、きっとブルガーコフにも彼のDNAが流れているのだろうと思いながら、『巨匠とマルガリータ』を読んでいた。
スターリン時代に生きたブルガーコフとマヤコフスキー
ブルガーコフの著作では過去に『運命の卵』を読んでおり、翻訳は『巨匠とマルガリータ』と同様、ロシア文学者の水野忠夫氏である。
水野氏は私が大学生時代、NHKテレビのロシア語講座の講師としてなじみが深く、毎週欠かさずに観ていた。
笑顔で温和な語り口とていねいな解説に、彼の研究対象であるブルガーコフやマヤコフスキーといったハードな作家たちとのギャップに驚きを隠すことはできなかった。
同時代人という意味でも、個人的にはブルガーコフとマヤコフスキーはセットの作家であるという認識が強い。
そのため、今回の副読本として、自主的にマヤコフスキーの評伝『マヤコフスキー事件』(小笠原豊樹著)を読むことにした。
ネタバレしてしまうが、本作はマヤコフスキー自殺説を覆し、彼は拳銃で他殺されたという事件検証と彼の著作を交えたもの。マヤコフスキーの女性関係や、当時相当の人気作家でスターリンに目をつけられていたこと、また巻末付録の彼の詩の膨大な引用など、マヤコフスキーの人物や時代そのものに肉迫する貴重な著作だった。
漫画のようなソビエト・ドタバタ・幻想文学
肝心の『巨匠とマルガリータ』であるが、今回の参加者であるKNさん、HNさん、KMさん、SKさん、HHさん、KH、KAさん、SMさんたちからの声は、相変わらず多様であった。
「マタイの福音書をベースにした挿話は面白い」
「聖書を理解していたらさらに面白そう」
といった読書人としてのまじめな意見から、
「面白かったが感動はナシ」
「ストーリーとして拡がりが少ない」
「解釈のしようがない」
といった辛口な意見。
対して、
「一気読みしました」
「マンガ的に、純粋におもしろかった」
「これはまさに幻想文学だ」
「展開にスピード感があった」
「ブラックユーモアと劇中劇が面白かった」
「筒井康隆のスラップスティックを想起した」
といった、理屈抜きに面白い、というポジティブな意見が多かった。
副読本を多数読まれてきたKAさんからは、
というコメントをいただいた。
個人的にもこれは興味がある作品だ。
長編大作『巨匠とマルガリータ』はどんなお話かというと、上記のとおり、幻想文学である。
会場からも、
「お金、女、悪魔、魔術ショー。カオスだ!」
という意見が聞かれた。まさにカオス、ドタバタである。ヴォランド一味が魔術を使って空を飛んで暴れまわりモスクワ中を破壊しつくすという物語だ。
スターリン時代の1929~1940年という本作が登場した時代背景からも、直接的な作品表現は許されなかった。ゆえに、ブルガーコフは幻想文学という形態をとり主張したいことを表現したのである。
スターリンとブルガーコフとマヤコフスキーの距離感
会場から「作家とスターリンとの距離感が興味深い」という声もあった。あるときは魔法でお金が出てきたり、あるときは人間の首が取れてしまうというグロテスクな描写が出てきたりという、カオスな状況が作品全体を占める。
スターリン時代のソビエト社会を彼なりの表現方法で描き切りたかったのだろう。
前述のマヤコフスキーは1893~1930年の作家で、ブルガーコフ(1891~1940年)の人生の中にすっぽり入りこんでおり、短命であった。
評伝『マヤコフスキー事件』でも述べられているが、マヤコフスキーはスターリンとの距離感をうまく取れなかった作家である。
彼はもともとスターリンにかわいがられ相当の人気作家にまで上りつめたが、あるときからスターリン批判めいた作品を発表しはじめた。
スターリンには「かわいがってやったのになあ!」と目を付けられ、暗殺されたのである。
その意味でウクライナ人ブルガーコフの振る舞いは賢かった。
同郷人の先達であるゴーゴリは、思えば帝政ロシアの役人や農奴たちのしょうもない在り方を幻想文学やコメディとして姿で描き出していた。作家として、社会に食い込みながらも賢く生きていくすべを、ブルガーコフはゴーゴリから学んでいたのに違いない。
戦争の中で文学はいかに機能するのか
当時の時代を画した作家や思想家を以下のように抜き出してみた。
・フロイト(1856~1939年)
・ユング(1875~1961年)
・カフカ(1883~1924年)
・ザミヤーチン(1884~1937年)
・ブルガーコフ(1891~1940年)
・マヤコフスキー(1893~1930年)
・エレンブルグ(1891~1967年)
・ソルジェニーツイン(1918~2008年)
19世紀後半からフロイトが精神分析を世に広め、その後ユングも活躍し、いわゆる「心の世界」が科学や芸術の分野の多くを占めるようになった。
その後を追うようにザミヤーチン、ブルガーコフ、マヤコフスキーといったロシア革命後の巨匠たちがスターリン体制の中で出現した。
『雪解け』でおなじみのエレンブルグも、スターリンとの距離感を恐る恐る保ち生き永らえた作家のひとりである。
そしてこの後には、『収容所群島』や『ガン病棟』などソビエト批判の内部告発文学でノーベル賞を得た、ソルジェニーツインが登場する。
このように、ロシア・ソビエトと文学の存在は分かちがたい。
そんな文学は、いま、ロシアやウクライナでどのような立ち位置を占めているのだろうか。
『巨匠とマルガリータ』を読みながら、ウクライナとロシアの情勢に文学は影響を与えうるのか、いまはネットがすべてなのか、戦争下の彼らのメンタリティはどういったものなのか、など、思いは尽きなかった。
文学は最もコンパクトで、最も濃密で、何度も読むことができる素晴らしい芸術コンテンツである。そんなことも、今回の読書会で再確認することができた。
文学はいま世界を変えるのだろうか。
いつかは必ず変えるだろう。
そう私は信じている。
* * *
さて次回は、また趣を変え、江戸時代を席巻した思想、陽明学を考えることにする。
課題図書は『近代日本の陽明学』(小島毅)を取り上げる。
本読書会のラスト、話が水戸学にいたり、江戸幕府への外国船の来訪から尊王攘夷思想、天狗党事件、右翼思想の発生などに話題がおよんだ。幕末の志士にも多くの陽明学者が存在する。その流れで、上記課題図書が選択された。
次回はどのような展開になるのだろうか。
お楽しみに。