本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

組織と自律、思考停止を考える

DXという単語に伴い、近ごろはリスキリングという言葉もよく耳にする。
企業がいままでの組織人を、変化の激しい世の中に対応できる新しい組織人へと教育する。
これが、リスキリングと呼ばれている。

DXもリスキリングも、とくに日本の大企業においては、成功事例をあまり耳にしない。
その理由は、「自律しない組織」での成功体験があまりにも強烈だったからだと分析する。
「自律しない組織」とは、いわゆる「軍隊式トップダウン組織」である。
1990年代まで、企業では、程度の差はあれ従業員は上司の命令に絶対服従だった。これに従わなかった従業員は懲罰人事を食らうのが当たり前だった。
絶対服従の見返りとして、日常生活の安定と老後の安心が保証されるという、強固なメンタルモデルが組織人の間に構築・共有されていた。

しかしいまや、企業は「見返り」に相応した賃金や退職金を支払えない。決裁が重層的に入る軍隊式トップダウン組織のスピード感では、高速に変化する市場ニーズに対応するにはあまりにも非力だ。

軍隊式トップダウン組織と思考停止の構造
そもそも、軍隊式トップダウン組織には本質的な問題がある。それは、人間の本能である恐怖心理で人を支配する、という問題だ。
集団で孤立する、家族や仲間が危険にさらされる、生活が変化する、個人のアイディンティティや社会的ステータスが奪われる、命が奪われる、などの、人が本質的に持つ一連の恐怖心理を用いて人を支配する。
人は恐怖に直面すると、思考停止に陥る。
思考停止になった人間は他人に支配される。
つまり、恐怖と支配はセットである。
思考停止に陥ると、人は判断を放棄する。
判断を放棄した人は、事物の判断を他人にゆだねる。
このとき人が依存するのが、他人の言動や、他人が作ったキーワードである。
もしくは、過去に他人がつくった常識や過去の標準である。
思考停止した人は、言葉や過去に支配される。

国家をあげて思考停止を支援
宗教も、思考停止の仕組みを持っている。
とくに、最近国会で議論されているカルト宗教は、思考停止の巧妙精緻な仕組が組織を下支えしている。
この仕組で信者を依存させ、操作し、運営資金を獲得し、組織を拡大させ、信者を増やす。

軍隊式トップダウン組織を持った企業たちには、かつて「会社教」という言葉が与えられていた。一種の宗教団体ともいえる。

そもそも日本では、政治家とカルト宗教の関係は深い。
同様に、「会社教」を持つ企業とも関係が深い。
いわば、国家をあげて思考停止を支援していたという現実と構造が浮かび上がってくる。

国会での議論では、マインドコントロールの防止や被害者救済の解決策を見出そうとしている。
法案が通ったところで、「国家をあげて思考停止を支援」の現実と構造がなくならない限り、思考停止の巧妙な仕組みは手を変え品を変え何度でも現れる。
これには国家も社会もうすうす気づいているだろう。
しかしこの30年を振り返ってみても、「国家をあげて思考停止を支援」の構造は、社会の激変に反してあまり変わっていないように見える。

日本の二つの成功体験
日本には、世界の激動の中に飲み込まれることから逃れ、奇跡の急成長を遂げた2つの成功体験がある。

一つは、明治維新
大政奉還により明治天皇を絶対的な権力者としてトップに立て、強固な軍事組織を早急に作り上げ、西欧列強によるアジア各国への支配を回避した。明治政府は急成長して西欧列強に接近し、自律的な独立国家であることを守り抜いた。

もう一つは、戦後昭和の高度経済成長。
敗戦後の日本において、軍隊式トップダウン組織で企業は猛烈に働き経済を右肩上がりに持ち上げ、国家は奇跡の復興をなし遂げた。
そして戦後40年にも満たない1980年代、世界の売上トップに日本企業が名を連ねるまでに経済が成長し、頂点にまでのぼりつめた。

いずれも、日本人は思考停止の構造による軍隊式トップダウン組織をもって、奇跡の急成長を遂げることができた。
こうした大きな成功体験が体に染みつき、思考停止の構造による組織の「空気」に、日本人はまだ依存している状態にある。
それが、政府与党がカルト宗教や会社教と仲良し、という現実として表れている。

いまや、思考停止の構造による軍隊式トップダウン組織は、機会獲得し急成長するための道具ではなくなった。機会獲得に目を背け、「失敗を回避する」ための道具といった、その本質がむき出しになった。

思考停止を操る感性の大切さ
ここまで、思考停止のネガティブ側面をあげてきたが、ポジティブな側面が対極にある。
一心不乱に働いたり学習したり運動したりという行為も、思考停止の産物だ。
ただし、一心不乱のスイッチのオン・オフが自律的に行われていることが大前提である。
他人の命令や判断に全面依存しないこと。
自分が他人に操られつつあるかどうか、思考停止の危機に陥りつつあるかどうかを観る、自問自答する感性は最も重要である。
これは「日本人に自律ができるのか?」という問いにも重なってくる。

自律を促す組織は、従業員に思考停止状態でリスキリングを一心不乱に学ばさせるのではない。
思考停止をオフにして、知恵を自律的に取りに行くマインドにスイッチを入れることも同時に学ばせる必要がある。
言い換えれば、「自由」を学ばせることである。
果たしてこれを企業という営利団体が手掛けて大丈夫なのだろうか、
という疑問はある。より本質的な、児童教育がになう課題だと思う。

  *  *  *

戦争やインフレはまだ続く。
エネルギー問題や核の問題など、次の危機が訪れる構造が背後に控えている。
こうした、どうにもならない危機の中で、人がしばしば陥る心理状態がある。
これが、思考停止である。
思考停止により判断という自律的な行為を失った人は、社会と共に負のスパイラルに陥る。

自分の思考停止の状態に気づくこと。
そして、自律的に知恵を取りに行くマインドにスイッチを入れること。

いまという時代を生き抜くための、一つのベストプラクティスである。

三津田治夫