本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

自分にとっていちばん大切なものはなにか?

8月5日、株価の大暴落という大ニュースが世間を騒がせた。
1987年の10月に起きたブラックマンデー以来の下げ幅である。
日経平均が4万を超えるなどの異様さで下落は目に見えていたものの、この一瞬の下落には私も含めて驚いた人は多い。

そして個人的に最も驚いたのは、この騒動の発端が日銀であった、という事実である。
今年3月に日銀がマイナス金利政策を解除し17年ぶりの利上げを発表、「ついに利上げか」と思ったやさき、植田総裁は政策金利を0.25%程度に追加するとさらなる利上げを発表。
発言が円高の引き金となり、円が買われ、大量の株が売られた。これを受けて日銀の内田副総裁が上記発言を即撤回するという異例の事態が起こった。

「円安厳しいよな」「ゼロ金利解除しないのか」と個人的に思っていたさなか、日銀総裁という日本人の「一言」の発言がこうも世界を動かすものなのだとは、日本は小国ながらも、大変な経済的世界影響力を持つものなのだと肌で感じた。
今回の出来事は世界史級の事件だった。

日本のような小国の島国がどうしてここまでの世界的影響力を持つのだろう。

1639年に徳川幕府が行った鎖国政策が頭を思い出した。
この時期、東アジアはイギリス商人たちのビジネスターゲットで、翌年の1640年にはアヘン販売先の清と販売元イギリスとの間でアヘン戦争が起こっている。

こうした危険なにおいを察知した徳川幕府は「日本のようなリソースも少ない小国にこれをやられてはたまらん」と、国外への金の流出を防ごうと鎖国を行った(考えてみたらあの当時ですごい情報収集能力だ)。

この時点から日本という国はすでに世界経済に組み込まれつつあったが、幕府はどうにか経済的なガラパゴスを保持した。

さかのぼれば13世紀、イタリアの商人マルコ・ポーロが記した『東方見聞録』の影響は大きかった。
彼が中国で見聞するに、大陸の東には黄金の国ジパングという金銀財宝がたくさんの国があるという。
これを読んだ西欧の商人たちは、「ジパングに行けばビジネスが成功するだろう」と夢を追いかけた。

鎖国中の日本列島沿岸にも西欧の船が訪れ、近海では捕鯨が盛んに行われた。
西洋人はクジラを食用としないので(ゆえにいまの日本人はバッシングされている)、もっぱら捕鯨といえば、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』(1851年)でも描かれているように、燃料としてのクジラ(体内から油だけを抽出しその他は廃棄)の捕獲である。
産業革命がもたらした燃料という資源の不足が捕鯨を促した。

鎖国の日本列島にもグローバリズムが訪れるこの時期、水戸藩領(現茨城県)の海岸に捕鯨船のイギリス人12人が上陸するという大津浜事件(1824年)が起こり、幕府の鎖国政策を強化させる。

一方で、200年以上続いた日本の鎖国が「こりゃ無理だ」となってきたのもこの時代。
そこに開国を主導するリーダーが登場した。
近江彦根(現滋賀県)藩主の井伊直弼である。

大政奉還の7年前、1860年鎖国推進派の水戸藩により井伊直弼が暗殺され(桜田門外の変)、鎖国派と開国派の、血で血を洗う戦いは続く(滋賀県民と茨城県民は仲が悪いという都市伝説はここからきている)。

この時代の北米大陸といえば、エイブラハム・リンカーンが大統領として活躍しつつ暗殺されたり、インディアンと白人が戦争をしていたり、奴隷解放の機運が高まったりなど、地球規模で動乱が起こっていた。

イギリスの産業革命がもたらした、商人が権力を持つマネーの暗黒面を、マルクスは『資本論』として発刊したのが1867年(奇しくも日本の大政奉還と同じ年)。
産業の変革は必ずマネーの問題につながり、世界の共通課題であるマネーの問題は、ローカルな問題であっても世界へと必ず伝播する。
そしてマネーには、金利というローカルな問題が必ず伴う。

金利とは利息であり、人に貸せばお金は増えて返ってくる。
銀行に貯金しておけば利息が付く原理と同じである。
その真逆が、江戸幕府が採用したお米による納税だ。現金は持っておけばおくほど人に貸すことができ利息を回収することができるが、お米は持っておけばおくほど管理にコストがかかり、劣化し、価値が減退する。さらに、遠方への運搬も困難である。徳川幕府の支配統治のための(商人に権力を持たせない)知恵である。

『モモ』(1973年)を描いたドイツの作家ミヒヤエル・エンデは、徹底して「金融利息は悪である」と説いた。
利息があるから現金を持った富める者は雪だるま式にお金を増やし、現金を持たない貧しい者はいつまでたっても貧しいという、不幸な構造が固定化することを伝え続けた。

現代は『モモ』や『資本論』の世界とは相当異なっている。が、追及するべき本質はあまり変わっていない。
競争や差異の中で生きる私たち人間たちが、個人としていかに心地よく、当たり前に、幸福をまっとうしていくか、である。この本質は、永久に変わることはない。

いま、「AI・データ」という、情報による産業革命に世界が覆われている。
日本人の一言が引き金を引いた今回の世界株価大暴落は、自分という個人にとっていちばん大切なものはなにかを再確認する貴重なきっかけを私たちにもたらしてくれた一大事件だった。

 

三津田治夫