今回のテーマは、「山田風太郎著『婆娑羅』と網野義彦著『異形の王権』を読み解く」でした。
乱世の時代とはなにか、そもそも南北朝とはなんだったのか、後醍醐天皇は怪人だった、などの意見が2時間飛び交いました。
博覧強記の先輩方の薫陶を受け、私の脳は活性化しました。
中世は混沌としていたと同時に、能や禅など、数々の新興芸術や新興宗教が現れた、非常にクリエイティブな時代だった。その一方で疫病や飢饉で人がばたばたと死ぬ時代でもあり、天皇が二人いることに象徴される権力が不在の時代だ。
思考を南北朝時代に置き換え、やはりいまの時代、疫病や飢饉で死ぬことはないし、文句を言ったらきりがないが、やはり、南北朝時代と比べものにならないほど、人間は物質的に恵まれているのだね、という意見が一致した。
一方で、「とはいえ心の中は混沌としている。その混沌がクリエイターの原動力になっている」という意見もありました。
つまり、なんらかの問題意識がなくては文章や作品といった事物を残せない、ということである。社会の孤独やぼんやりとした不安、こうしたものがあってはじめて、作品が生み出されるという解釈だ。
「世界はすばらしい、人生はバラ色だ、という現状肯定の美意識や歴史観を持った作品って、あるんじゃないでしょうか?」という意見に、「それはプロバガンダです」という回答。たしかに、「未来」のすばらしい世界とバラ色の人生を「追い求めた」作品や思想は星の数のようにあるが、過去のすばらしい世界とバラ色の人生といった現状確認と現状報告を扱って大成した作品は、一度もお目にかかったことがない。やはり人間とは、未来の動物なのだ。
南北朝時代というと現代との隔たりが激しすぎ、アナロジーを見ることは難しい。そういいながら、「混沌」「権力の不在」という抽象的なアナロジーは参加者に共通で見ることができた。
個人的に感じたのは、疫病や飢饉といった生命の危機に立たされると、人間はクリエイティブになる、ということだ。疫病や飢饉といった非文化的で非人間的なものが、人間性や文化の根幹であるクリエイティビティの下支えをしているとは、なんとも皮肉である。
今回の読書会で、本を持って街に出て、自分の知らない世界・思想・時代に飛び込むことは、いまの世の中を生き抜くにおいて重要だと感じました。
「うお座」でのお刺身と日本酒は非常に美味でした。