人は本を読む必要があるのだろうか?
教養や趣味、娯楽など、読書にはいろいろなゴールがある。
今回は、編集者として、また、一人の本好きとして、「情報収集のため」と「知識のため」をゴールに、「本の読み方」のお話をお届けしたい。
そもそも「情報収集」と「知識」のために読書が必要かというと、やはり「必要」と断言する。
読書には、Webではまず得られない「経験」がそこにあるからだ。
これらを頭に入れるだけでも、読書のノウハウの一つを手にしたことになるはずである。
1)本は編集されている
本は基本、編集制作者の手で編集されている。
査読や校正が何度も行われ、ページの並びなどが考慮されており、正確性と読みやすさが担保されている。
2)コンテクストで内容の記憶定着力を高められる
ページの並びがコンテクスト(文脈)を形成している。
これにより、手にした情報と知識が自分の中で「物語」となり、より深く記憶に定着する。
3)アクセス性の高さ
自分の読みたい場所に飛んだり、戻ったりが容易にできる。
また、ページ順に従わずに読むことで、「自分の文脈」で読み進めることもできる。
4)一覧性の高さ
上記と関連するが、数冊の本を並べるなどで、複数の情報を素早く一覧することができる。
上記4点を見ただけでも、少なからず、読書ならではの価値の高い体験が得られることがわかっていただけるはずだ。
「読書」とは、本という、古くからの完成されたメディアから、情報と知識を引き出してくる行為であるとも換言できる。
日常的に、読書についてさまざまな質問や相談を受けることが多い。
そこには、本を読みたいという欲求があるからに他ならない。
ときにはその内容が私自身への問いかけにもなることもあり、有意義な時間をいただくとこも多い。
そこで、具体的な読書のノウハウをFAQ形式でお伝えしたい。
読書が苦手という方には、ぜひ参考にしていただきたい。
一冊の本は何度も読んだ方がよいのか?
答えは、「イエス」である。
1度の精読でもよいが、2度、3度読むことで、情報や知識として最も自分の身になる。
毎回、最初から最後まで読む必要はない。
自分の心に引っかかった文章や文字にラインを引き、そこを何度も読むだけでもよい。
さらに言えば、これらをタイプインし、アウトプットし、毎日持ち歩いて反復読みしてもよい。
そうすることで、本の中の、自分の心に響いた情報や知識のエッセンスを、より自分のものにすることができる。
本に自分の言葉を書き込むのも効果的だ。
気づいたこと、要点、反論、ときには誤字訂正など、「本との対話」として、自分の言葉を書き込む。
すると、その本に対する理解は一気に高まる。
しかし、本を汚したくない、という人もいるだろう。
一方、蛍光マーカーで汚しながら読むという人もいる。
読み方はさまざまだが、マーケットプレイスで売ることはあまり考えずに、躊躇なく、本は買って汚すことをお勧めする。
汚した分だけ、本の情報や知識は、自分のものになる。
ページ全体を折ったり、ページの角に折り目を入れながら読む人も多いだろう。
折り目を付けるだけで、他のページへのアクセス性も高まるから不思議なものだ。
私の場合は、「付箋」を使用している。
付箋なら、新しい発見などがあった際、すぐに貼り替えができるうえに、色分けすることで、気になるページを区分できる。
最近は、ライン引きせずに済むような、ページ内部に貼る付箋もある。
いろいろな付箋を活用することで、読書体験をより高めることができる。
本はどこで読むのがよいのか?
まずは、読書する時間の確保できる場所こそが、本を読む場所だ。
「本を読む時間も、時間を確保できる場所もなかなかない」という人も多いだろう。
となると、よく使われる場所は、通勤電車内だろう。
私は長年長距離通勤(片道80分)だったので、その間、いろいろな本を読むことができた。
ただ、乗車時間が短かったり、往復がラッシュアワーでそれどころでない、という、状況に恵まれない人も多い。
そのような方には、「貪欲に読む場所と時間を探す」ことをお勧めする。
ランチタイムは食事をしながら会議室や公園で読書する、待ち時間や移動の空き時間には喫茶店や駅のベンチで読書する、など、断片的な時間ではあるがさまざまな捻出方法が考えられえる。
「細切れでの読書は文脈が分断されるので、なかなか頭に入ってこないのではないか」という不安の声もあるだろう。
しかし、10分あれば、断片的な読書は案外成立するのだ。
そうした読書の細切れを連結させる意味でも、付箋貼りやライン引きは、とても有効である。
再読する際に付箋やラインをたどることで、文脈が一気に再構築される。
また、新書や文庫といった、携行性の高い本はお勧めする。
読む場所を選ばないのが最大のメリットだ。
価格も比較的安いので手軽に手に入り、家での置き場にも困らない。
複数の本を並行して読んでもよいか?
結論から言うと「よい」である。
しかし、これには慣れが必要だ。
いわゆる「読書家」がこの方法で本を読む。
複数並行読みは情報収集に威力を発揮する読み方だが、不慣れだと、なんだかわけがわからなくなってくる。
なので最初は、「関連性が高い本」を複数冊選択して読むことをお勧めする。
自己啓発、経営、IT、化学、ビジネス読み物など、それぞれの本に自分で納得する関連性さえできれば、複数の本を並行して読むことは徐々に苦でなくなってくる。
慣れてくると、哲学や思想、芸術など、「古典」と複数並行して読むこともできる。
これができるようになると、本から得られる世界観や時間空間の感覚が劇的に広くなる。
と同時に、「情報収集と知識」の幅も一気に広くなる。
手にした情報収集と知識の扱い方次第で、間違いなく人生が豊かになるのである。
乱読はよいか?
複数の本を並行して読むことと似ているが、一冊ずつ乱読を繰り返す人もいる。
これも読書家がとる読書方法である。
関連性のまったくなさそうな本を手あたり次第に読む。
言い換えると、読みたいと思った本を、欲求に従って読む「冒険的読書」である。
しかし情報収集と知識の向上に関しては、あまり効率的とは言えない。
本と本の関連性が少ないので、文脈として読んだ内容を自分のものにすることが困難だからだ。
だが、読書の一スタイルとしてありなので、ときには目的を捨て、欲求に身を任せて本を読むのもよいだろう。
これにより、自分なりの新しい読書スタイルとの出会いもあるはずだ。
偏読はよいか?
偏った読書は、本を読むという行為の入り口として否定はしない。
しかし、長く続けることはお勧めしない。
とはいえ私も、学生時代は偏読家だった。
何年か、ロシア文学しか読まなかった時期があった。
しかし卒業を迎える時期ぐらいからか、とたんに偏読がおさまった。
新しい世界との出会い、書物の「横展開」ができるようになったからだ。
そこから、本を読む喜びもさらに深まった。
そんな個人的読書体験があったこともあり、「未来の横展開を視野に入れた偏読はよい」、と考える。
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上記の通り、本を読む「読書」という行為には「これ」というスタイルがない。
細分化すれば、まだまだ読む方法があるはずだ。
さまざまなスタイルを知りながら読むことで、自分なりのスタイルができあがってくる。
いわば、柔道や空手の「型」を身につけると、あるときから自分なりの「型破り」が出てくる。
そうなったら読書は一層面白い。
本は楽しむものである。いろいろな本に触れ、本を読むという行為自体を楽しみ、自分なりのスタイルを見つけていただけたら、この上なくうれしい。
三津田治夫