本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

セミナー・レポート:危機から見えた、新しい日本を考える ~高嶋哲夫氏によるオンライン・セミナーを開催~

f:id:tech-dialoge:20200727113016j:plain◎オンライン・セミナーの模様

7月21日(火)、作家の高嶋哲夫氏をお招きし、「アフター・コロナを考える「新しい日本の形、新しい日本の創造」」と題し、本とITを研究する会主催のオンライン・セミナーを64人で開催した。
高嶋哲夫氏は、『首都感染』(講談社刊)が「コロナを予言した書物」とされ、2010年の作品が今年の2~6月の4か月間で累計14万4000部を重版するという、出版史に異例の記録を残した小説家であることは言うまでもない。

オンライン・セミナーは「新型コロナウイルスがもたらしたもの」と「次なる試練」、そして「新しい日本の形」という3部構成で進められた。

f:id:tech-dialoge:20200727113101j:plain◎オンラインで登壇いただいた高嶋哲夫

コロナが現実性を加速させた日本の未来の姿
新型コロナウイルスがもたらしたもの」とは、一言でいえば隠されていた課題の露呈である。
政府の危機管理の甘さやIT化の遅れ、地方行政の弱さなどが指摘された。
もう一つは、あいまいな数字やキーワードが世の中に飛び交い、国民がそれに踊らされ混乱が生み出されたこと。
テレビやネットの錯綜した報道に、心身とも困憊する人たちは多い。

「次なる試練」は、東京を中心とした死者2万3000人の「首都直下型地震」と、東海から南海、四国にわたる死者32万人の「南海トラフ地震」の可能性である。
いずれも、30年以内の発生確率が70%と言われる、確度の高い大震災である。

f:id:tech-dialoge:20200727113142j:plain◎災害の模様が写真と動画で紹介された

新型コロナウイルスによる災害と併せて訪れる「次なる試練」に我々はどう備え、国家はどのような姿であるべきか。
それが、今回のオンラインセミナーのテーマである。
そして「新しい日本の形」としての提言が、ダメージを受けた地方を他の地方が支える、「道州制」という国家の新しいスタイル作りである。アメリカやドイツ、スイスなどで取り入れられている連邦制国家として、自然災害にも感染症など複数の同時災害にも耐えうる国家に日本が進化するための提言である。

利権を乗り越え、見えない敵から日本を守る
道州制を導入する利点の根拠の一つとして、次のことが述べられた。
日本の経済主体の大半が属する太平洋側が首都直下型地震南海トラフ地震により壊滅的になることで、日本の経済は停止する。道州制を導入することで地方が経済的な力を持てば、日本海側の力で太平洋側を支えることが可能である。

道州制に関する議論は、過去に何度も行われてはたち消えてきた。
第一に地方での受け入れが非常に困難で、その大きな理由は、利権である。
道州制では、都道府県で管轄されていたものが、北海道、東北州、関東州、中部州、近畿州、中国州、四国州、九州沖縄という割り方で再編成される。たとえば、沖縄県に入金されていた政府からの軍用地使用料の振込先は沖縄県ではなく九州沖縄に移行する。そこで「これは誰のお金?」となる。これが、最も単純化した利権の構造だ。

利権を書き換えるために、歴史的に行われてきたことがある。
それは、革命である。
内戦や粛清により利権の対立集団を「力」で排除する方法だ。
しかし、新型コロナウイルスという目に見えない敵に万人が直面したいま、こうした革命はまず考えづらい。
戦う敵は、私たちの外部に、情報として存在する。
同時に、私たちの内部に、体内に存在する。

新しい社会には新しいイメージを
新しい酒には新しい革袋を、ということわざがある。
新型コロナウイルスという新しい災害に遭遇したいま、私たちは新しい社会を迎え入れる必要がある。
新しい社会を阻むものには「人々の持つイメージもある」という発言は非常に印象深かった。
「東京都という首都に対する魅力的なイメージ」が、新しい社会の形づくりを阻むと、高嶋氏はいう。

いったい、このイメージとはどういうものだろうかと、私は考えた。
共同体は形成されたイメージで成り立っているという、政治学ベネディクト・アンダーソンの言葉を思い出した。
東京都でたとえれば、明治維新以降形成されたイメージにより、その魅力が固定されているといえる。

では、どうしたらこのイメージを新しく書き換えることができるのだろうか。
この場で語られた一つは、地域単位ではなく大学などの機関単位でのつながりによる、人やお金、モノの交流である。
機関単位で人のつながりをつかさどるとは、コミュニティの発想ともいえる。
さらに言えば、その機関は建物などの物体である必要はない。
ネット上のバーチャルな機関でもよい。
内閣府が提唱する、仮想(デジタル)空間と現実空間を高度に融合させたシステム「Society 5.0」が、これに近い。
エストニアではすでに税務処理の自動化なども含め、電子政府が作られつつある。
新しい日本の形としての道州制国家にいたる中間ステップとして、このSociety 5.0が機能するのかもしれない。
しかし、幕藩制時代から日本人の心に深く根差すイメージは、そう簡単には変わらないという意見もある。

政治哲学者のユルゲン・ハーバーマスの言葉を思い出す。次のように語っている。

「イメージはそのつど空間と時間において個別化されている個々の主観に属するのに対して、思想はそもそもコミュニケーションされうるためには、意味内容を変えることなく個人の意識の境界を越えるものでなければならない。」

イメージは各個人の主観でしかなく、考え(思想)が他者と共有(コミュニケーション)されるためには、その主観を超えるものでなくてはならない。つまり、漠然としたイメージが共有されるには、具体的な考えへと昇華され、言語化される必要があるのだ。
国家や人種、宗教、言語を超えた新しい社会の形を模索するハーバーマスの象徴的な言葉である。

イメージの共有を促す対話の力
道州制電子政府の導入という発想は重要だが、それを具現化するためにも、イメージの言語化と共有はさらに重要である。
生活とはなんなのか、災害とはなんなのか、首都とはなんなのか、地方とはなんなのか、日本とはなんなのか、世界とはなんなのか……。
私たち個々の内面が持つイメージを言語化し、共有することが、いまこそ重要である。
その出発点が、対話と議論である。
人と人との接触が阻まれるいまであっても、意識して、対話と議論を深めていく場は持ち続けていきたい。
今回のオンライン・セミナーを通し、改めて感じた。

質疑応答と交流を含め2時間ほど、高嶋哲夫氏は私たち一人一人の将来にかかわる、大きな課題を投げかけてくれた。
同時に、これからの時代を読み解くための知恵も共有することができた。
いま、全人類は試され、災害大国である日本は試練に直面している。
小説家という、身体から言葉を紡ぎ出す仕事をする方からの言葉を参加者全員で共有できたのは、貴重な体験だった。この日は各人にとって、一つの歴史となるだろう。

      * * *

日本人は「会社教・日本教の信者だ」「保守的だ」といわれ続けてきた。
しかし、退職金制度や終身雇用、年功序列はなくなり、GDP右肩上がり神話や、日本が世界に名をとどろかす時代ではなくなり、会社教・日本教の信者数は激減した。
そして保守的である日本人でも、1990年代後半に「まず日本では普及しない」と言われたネット決済を一気に受け入れた。その他スマートフォンSNSなどのネット社会も、日本人は一気に受け入れた。
日本人は狂信的ではないし、極度に保守的でもない。ある意味、生き延びるためにはこだわり持たない「したたかな人種」である。いまこそ、そのしたたかさを発揮する時期ではないか。

高嶋哲夫氏による今回のオンライン・セミナーが、新しい社会づくりに向けた、一人一人のイメージを書き換え、共有する言葉を持つきっかけになることを願っている。

三津田治夫