本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

日経ムック『DXスタートアップ革命』の、見本が届きました。

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守屋実さん監修の日経ムック『DXスタートアップ革命』の、見本が版元から届きました。
書店では7月8日(木)からお買い求めいただけます(税込み1980円)。

構想からアウトプットまでちょうど半年。DXという時代物の題材を、オフライン媒体において内容の濃さを煮詰めつつ最速で制作しました。

なによりも本作の圧巻は、他ではまず見られない20のDX成功事例です。
事例を一覧することで、DXの今とこれからが手に取るようにわかります。
この一覧性こそ、紙媒体にしか持ちえない強みです。
ゲラでなく、本紙にインキで刷られ、製本された本作を手にし、紙媒体ならではの強み、紙媒体にしかできないことを、新たに認識することができました。
(電子版もお買い求めいただけます)

コロナ禍による社会状況からの脱出の出発点は、本作にあるでしょう。
時代を画す「革命」のタイトルにふさわしい自信作です。

本書の発刊をぜひお楽しみに!

7月発売の『DXスタートアップ革命』(日経ムック)、校了しました。

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『DXスタートアップ革命』(日経ムック)
のカバーデザインがまとまりました。
本作の色校を持たれているのは、ADの大橋義一さん。
ブックデザインの細部すべてにわたり、ご尽力いただきました。
神は細部に宿るを実現していただきました。

そして本文もデータの最終検査が完了し、全作業終了です。
いよいよ、印刷の工程。
構想から半年、守屋実さんをはじめ、スタートアップ企業の皆様、関係者の皆様のご尽力で、ここまで来ることができました。
心から、感謝いたします。m(_ _)m

そして、皆様、お疲れさまでした!

7月刊行『DXスタートアップ革命』、ゲラがまとまってまいりました!

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7月刊行の守屋実さん監修の日経ムック作品
『DXスタートアップ革命』
のゲラがまとまってまいりました。
総勢12名の編集制作チームにて、鋭意進行中です。
編集校閲結果はPDFに乗っていますので、実際にはゲラまっ赤っ赤です(汗)。

5月にロケットスタートを果たした守屋実さんの著作、
『起業は意志が10割』講談社刊)
と双璧をなす作品になります!

『DXスタートアップ革命』は、20の個性豊かな有力スタートアップ事例と識者の言葉から、「生きた生のDX」を読者の皆様にお届けする、を意図とした作品です。
「理論のDXはもう終わり。“動いて”こそのDX。そして、新しい顧客価値を!」が、本作の大切にしているスピリットです。
DXが劇的に世の中を書き換える瞬間、もう目の前です。
本書の発刊をぜひお楽しみに!

三津田治夫

DX時代のITエンジニアのための、キャリアづくりの考えるヒント ~要素技術とエンジニアリングの間に見えたもの~

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先日、某IT人材企業の代表にお会いし、業界のことやエンジニアのキャリアのあり方などについて話を伺い、さまざまなキーワードを手にした。
その中でもとくに、以下3つが印象に残った。

・要素技術は時代とともに消える
・エンジニアリングそのものは消えない
・技術に対する覚悟

AIやDXなど、近年はコンピューティングやプログラミングの扱う領域が肥大した。
そしてあたかもAIやDXなどが、コンピューティングやプログラミングとは「別物」と誤認される傾向が出てきた。
誤認の軌道修正としても、本コラムが参考になれば幸いである。

エンジニアという人間が持つ創造的なマインドは不変
1980年代、世界一といわれていた日本の半導体メーカーが続々と脱落し、いまでは世界一の称号は跡形もなく消え去った。
これを現在の日本のソフトウェア産業に置き換えてみると、エンジニアがキャリアのあり方を見つめ直すヒントになる。つまり、要素技術は予告なしに一瞬で消えてしまうのである。要素技術の運命を直視することが、エンジニアのキャリアづくりに重要な理由の一つである。

エンジニア向けの転職業界では、「Pythonで年収○○万円」「Swiftで年収○○万円」といった、要素技術と金額の関連が前面で取りざたにされる。
要素技術のトレンドと年収額を比較しながらキャリアチェンジを続けるのも一つの戦略だ。
しかし、果たしてそればかりでよいのかという疑問がある。

新しい要素技術を身につけ転職するのもよいし、手にしたスキルを応用して業態転換をはかるのもよい。
もちろん、なにもせずそのまま会社に残ってもよい。
そこに必要なものはただ一つ。
エンジニアの技術に対する「覚悟」である。

エンジニアリングとは直訳すると「技術」や「工学」となる。
そこにエンジニアという人間がかかわると「なにを与えたいのかという創造的なマインド」が加わる。
要素技術は時代とともに消滅する。
永久に消えないのはエンジニアリングと、エンジニアという人間が持つ創造的なマインドである。そのうえで、技術に対する「覚悟」さえあれば、エンジニアは納得いくエンジニア人生を送れる。

要素技術と創造的なマインドはたえず両輪で動く
上記を考えながらふと気づいたのは、これは、現在の出版産業と合致する構造ではないか、という点である。

出版産業でモノを作る「エンジニア」は誰に相当するか。
その一人が編集者である。

編集者は紙や電子の出版物の編集という「要素技術」を使用し、なにを与えたいのかという創造的なマインドに基づいた「エンジニアリング」のもとで、出版物を制作する。
時代の流れにしがたい紙の商業出版物がしだいに減っていき、それにともない紙の商業出版物への編集という要素技術へのニーズは変化を続けていく。

私がよくいうのは、いまの編集者とは、無声映画時代の、俳優の声を代弁する「活弁士」に相当するというたとえである。
フイルムがサウンドトラックを備え、映画がトーキーになることで活弁士たちは職を失っていった。
しかし一部の活弁士は司会者やアナウンサー、芸能人になったりと、時代のニーズと手持ちのスキルをマッチさせ、業態転換をはかった。
そうした彼らが持っていたものはなにか。
それは、なにを与えたいのかという創造的なマインドに基づいた「エンジニアリング」である。
言い換えると、生き残った活弁士は「自分の声と表現という身体能力で人を幸せにする」という、自らの与えるべき価値を知った人である。

**エンジニアはいつでも、消えうる要素技術の持ち主**
私も、ソフトウェアエンジニア出身で、出版業界に26年身を置く人間として、上記は決して他人事ではない。
「社会的に魅力のある人物にお声がけをし、アウトプットを共有し、言葉とメディアを通して読者を幸せにする」という編集者の職能を、広く社会活用できる仕組みがつくれたらよい。
その意味でITエンジニアと編集者は、立場は違えど、「消えうる要素技術の持ち主」という意味で類似の境遇に置かれている。
その意味で、上記キャリアへの考え方は参考になるのではと考えた。

5年かかる変化が1年で一気に起こったこの時代、キャリアを磨き上げるスキルを、時代のニーズにマッチさせるという発想はますます重要になった。

あなたの持つスキルが所属する企業のニーズにマッチしない場合も多々ある。
ならば、企業から抜け出し、社会に出てみよう。
所属する企業のニーズと社会のニーズは、決してマッチしていない。
あなたのスキルを社会にインストールし、社会とともにキャリアを磨き上げ
よりよい社会の構築に力を貸してもらいたい。

読書ノート:『群衆と権力』(上・下)(エリアス・カネッティ著)

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今回は、書評のベースとなる、本文からの抜粋などによる「読書ノート」をまとめてみた。
20世紀の奇書『群衆と権力』全巻の外観を共有できたら幸いである。

パラノイア患者あるいは権力者以上に群衆の諸性質をはっきり見抜く眼を具えている者はたしかにいないし、かれらの--いまでは恐らく誰しも認めるとおり--帰するところはひとつである。だが、かれが--両者を同一の代名詞で表そう--関係する群衆は、かれが敵対し支配しようとする群衆にかぎられている。これらの群衆はすべて同じ顔をしている。
(本文より)

●歴史的情報
エリアス・カネッティ(1905年7月25日~1994年8月14日)
ブルガリア出身。スペインから逃れてきたユダヤ人の家系。英語、フランス語、ドイツ語を学ぶ。本書はドイツ語で執筆。オーストリア・ウィーンに移住のちにイギリスに亡命最後はスイスに移住『群衆と権力』の完成までに35年かかった。

●この本に流れる基本思想
・群衆の発生論
・群衆と権力のイメージ論、シンボル論
・「権力とは何物か」の解剖学
・他人との「接触恐怖」は、自分が「他者と違う」ことから発生する
・他者との違いが恐怖となるのなら、自分が他者と同じになればよい
・「自分」がないのが群衆である
・群衆になったとたん、今度は他者と押し合い密着することが快楽になる
・これが、群集心理である

< この本の枠組み >
●すべては「イメージ論」
●群衆の発生源群衆の発生源は、他者との接触恐怖→自分を「群衆」と一体化・無人格化して、恐怖から回避恐怖とは「死の恐怖」無人格ゆえに、行動に理性はない。無人格ゆえに、殺害の対象になる。とはいえ、「死者の群衆」に対する恐怖を群衆は持つ(恨みや怨念のイメージ)
●群衆の生存条件敵や対抗するものが存在する必要がある
敵味方、男女、生者死者、これらの対立は群衆の存続に大きな意味をなす。(p.76~95)
●群衆の象徴仮面、炎、風、旗、民族→群衆とは共有している「イメージ」である。

以下本文より
イギリス人のシンボルは、船長。
オランダ人は、堤防。
ドイツ人は、軍隊と森。
フランス人は、革命。
スイス人は、山岳。
スペイン人は、マタドール。
イタリア人は、ファシズムでシンボルが剥奪された。
ユダヤ人は、出エジプト、荒野を歩く集団。

さまざまな命令の棘を刺しこまれ、それらの棘のために窒息しそうな精神分裂症患者以上に、群衆を必要としている人間はいない。かれは群衆を外部に見出すことができないのであり、したがって、かれは自分の内部の群衆に身を委ねるのである。(下巻p.71)

●権力の発生源人間の本能、生殖欲、生存欲、増大欲、自己保存欲、死の恐怖
●権力の象徴手、歯、大量、変身命令、仮面、生き残り、言葉、日付、命令、質問

人間が活動中の両手を眺めたとき、その両手がつくりだす多様な形態は次第に人間の心に深く刻まれて行ったに違いない。このようなことがなかったら、われわれは恐らくさまざまなもののシンボルを形成することを、したがってまた話すことを習得するには至らなかったであろう。(p.318)

獲物や殺害と直接関係のない、手の単独の破壊欲が存在する。その破壊欲は純粋にメカニックな性質をもち、さまざまのメカニックな発明はそれの延長上にある。(p.319)

他の誰よりも多く食べることは、その食べる者が所有している動物たちの生命の破壊を前提する。(p.322)

人々はいっしょに坐り、かれらの歯をむきだしにして食べるが、この危険な瞬間においてさえ、互いに相手を食べたいという欲望を全く感じないのである。 (p.323)

笑いは確実と思われる獲物ないし食物を喜ぶ感情を含んでいた。(p.327)

楽器の多様さは人間たちの多様さの表れにほかならない。(下巻p.190→オーケストラ)

手だけにかれは服従する。(下巻p.191→同上)

●権力の象徴の詳細
手:掴むもの、オーケストラの指揮者(群衆と権力者)、命令、指示、言語
歯:食べる、咀嚼する、消化する、大食大量:財宝、貨幣、宝石
変身:トリックスター、精神病患者、昇進、昇格、転籍

「生き残り」が、権力者のエネルギーを再帰的に高める。権力に特有の情熱、つまり生きのこることへの情熱の増大につれて、ともに増大する特性をもつ。(p.363)

シュレーバーの『回想録』より。全人類が絶滅してしまったのである。シュレーバーは自分自身をまだ残されている、ただひとりの実在の人間とみなしていた。(下巻p.262)

問う者の立場から見ると、問いの効果は権力感情の高揚である。かれはこの感情を楽しむ。(下巻p.9)

もっとも悪質な専制政治は、もっとも悪質な問いを発するものである。(下巻p.10)

未知の身体は同時にまたひとつの場所でもある。それの臭いをかぎ、それに触れることによって、動物はそれに精通する。われわれ人間の用語に翻訳すれば、動物はそれに名をつけるのである。(下巻p.12)

命令の力はすべて死の脅威から引きだされてくるのである。この力は望ましい行動を引き起こすのに必要な程度を不可避的に越えてしまうのであり、これこそ命令が棘を形成するにいたる理由にほかならない。(下巻p.81)

人間たちを動物に変えたいという願望は、奴隷制度の発展にとってのもっとも強力な動機であった。この願望のエネルギーは、その逆の、動物たちを人間に変えたいという願望のエネルギー同様、どれほど重視しても足りないくらいである。(下巻p.168→ロボット)

時間の調整はあらゆる支配権のもっとも重要な属性である、といっても過言ではないだろう。自らの地位を維持しようと欲する新しい権力は、また時間の新しい秩序を施行しなければならない。新しい権力は、あたかもその権力と共に時間が始まったかのように見せかけなければならない。(下巻p.195)

どこかの精神病院で途方に暮れ、見捨てられ、蔑まれながら薄命の生活を送る狂人は、かれがわれわれにもたらす認識を通じてヒトラーやナポレオンよりも大きな意味をもつにいたり、権力の呪詛と権力をほしいままにする者たちを人類のために白日のもとにされしてくれるかもしれない。(下巻p.272)

●群衆と権力→双方の発生源は、死の恐怖、生存欲求
(個人)→群衆を形成=非人格化、敵の発見
    →権力を形成=群衆を必要とする、仮面をかぶる、生き残り、変身を操作(王)

現在ひとつの信仰があるとすれば、それは生産信仰であり、増大に対する現代的熱狂である。そして、地上のあらゆる民族が次々とそれのとりこになりつつある。(下巻p.306)

商売のポイントは、できるだけ多くの顧客を獲得することである。したがって、理想的にはすべての人間を獲得することである。この点において、商売は、たとえ表面的なことにすぎぬにせよ、あらゆる個人の魂をものにしようとする普遍的宗教に似ている。(下巻p.306)

商品の増殖を通じて、生産は本源的な意味での増殖、つまり人間自身の増殖に回帰するのである。(下巻p.306)

権力者たちは、今日では、以前のように自らが権力者だから不安なのではなく、他のすべての人間たちと少しも変わらなくなったような気がするから不安なのである。権力の古代的な構造、権力の核心、つまり自分以外のあらゆる人びとの生命を犠牲にしての権力者の安泰維持は、その不合理を論破され、粉砕された。権力は以前よりも増大したが、以前よりも不安定なものになっている。今日では、あらゆる者が生きのこるか、誰ひとり生きのこらぬか、のいずれかであろう。(下巻p.312)

●まとめ
人は、権力者が「なにを望んでいるのか」をたえず知る必要がある。
権力は、時代と共に自滅する。
時代は、新たな形態の権力を生む。
群衆と権力はいつでも紐付きである。
権力もまた、群衆である。
商業社会は必然的に「数の増大(=群衆の形成と獲得)」を求める。
それに伴い、「増大した数」を「支配」(生存や生殖のための)する「権力」が求められる。
現代は、「新しい群衆と権力」を形成している。
「新しい群衆と権力」は、猛スピードで更新されている。

●考えられる新しい権力(「数」の時代)
宗教(数や言葉の上位概念=「精神」として)
SNS・ネット(数や言葉が流通する仮想空間として。宗教で言う「寺院」「聖堂」)
法律(言葉、規約、コンプライアンス
仕組み(コンピュータシステム、金融工学マクロ経済学統計学データマイニング機械学習人工知能
データベース(言葉の増大)
ビッグデータ(数の増大)

< 結論 >
権力がほしければ、「グル」か「数学者」になろう。

しかし、権力には「変身」の自由がない。

精神病患者と同様、権力には精神に自由がない。

群衆と同様、権力には人格もない。

結果、「権力には意味がない」

権力とは「イメージ」にすぎない。

本来の自由な人間に戻ろう。

自他の変身を許し、流動的でダイナミックな生き方を人間性に投影しよう。

それが最も高貴な人間である。

DXと問い、そしてアジャイル

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先日、農林水産省が「「農業DX構想」の取りまとめについて」を発表した。「データ駆動型の農業経営により消費者ニーズに的確に対応した価値を創造・提供する農業(FaaS(Farming as a Service))への変革を進める」とし、日本古来の仕事である農業の世界にもDXが導入されようとしている。

9月にはいよいよデジタル庁が設置され、DX(デジタルトランスフォーメーション)により、政府は一気通貫したデジタル・プラットフォームを構築する動きがある。

混とんとしたいまの社会にデジタル化という一つの方向性が示され、希望に満ちた動きである。

1995年から26年間、IT編集者として社会の動きを見てきた私としても、このDXには期待している。
1995年から起こったインターネット革命は世界的なインフラ革命であった。
そしてDXは、デジタルを通した社会の仕組み全体の革命である。
インフラとサービス、アプリはすべて出そろった。
そこで「なにをやるか」が、DXの本質である。

DXはバズワード、とも言われる言葉だ。
Web2.0HTML5、古くはモバイルコンピューティング、ユビキタスコンピューティングなどのバズワードが飛び交った。
こうした言葉の下で、社会が変わってきた。
特定の言葉をバズワードにするか実体のあるものにするかは、その言葉を受け取った人間が、それをどう受け止め、どのような行動を取るかにかかっている。

DXと「問う」とは?
俳優の稲垣吾郎さんはCMの中で、DXを「デラックス」と連呼する上司をユーモラスに演じていた。
CMの収録に際して稲垣さんはインタビューで、企業について次のようなことを語っていた。

「すぐに答えを求めるんじゃなく、問うことも大切なんじゃないかなと思います。」

DXと企業について、「問う」という言葉が気になった。
言葉に踊らされてIT化がうまくいかない企業や、ベンダーやコンサルタントのいわれるがままで、IT化が体をなさない企業は、いつの時代にも絶えることはない。

今回のDXにおいても、うまくいかない企業や、いわれるがままの企業、あるいは積極的に導入を拒否する企業など、DXで不幸に遭遇する企業が少なからず出てくるはずだ。

そうした不幸を回避する最良の処方箋は、この「問う」であると私は思う。
日本の組織において「問う」は、並大抵のことではない。
経営者から従業員までが「問う」をはじめたら、組織は崩壊しかねない。
しかし、もはやそんなこと言っている場合ではないが、いまの日本の組織である。

すべての道は「アジャイル」へと通じる
その昔、日本のソフトウェア開発の現場で、組織から嫌厭されたという、アジャイルソフトウェア開発に取り組むITエンジニアたちの声をたびたび耳にした。彼らはつねに開発の姿勢として、問いと対話を重視する。

アジャイルソフトウェア開発は、ITエンジニアたちのひたむきな取り組みを通じて、この10年で日本でもようやく浸透してきた。その引き金を引いた象徴的なベストセラー作品に、『アジャイルサムライ』があった。発刊は2011年夏。奇しくも東日本大震災の発生した直後である。

DXを通して、とくにコロナ禍で急成長を遂げるスタートアップ企業は多数存在する。
そんな企業の経営者たちに取材で対話を続けている。

彼らは日々、「問い」を断念しない。
既存のもの、目前のものに対する「問い」から、彼らは課題を抽出し、その解決策を社会価値として還元するべく、試行錯誤を繰り返す。
その姿は、10年前の日本のアジャイルソフトウェア開発者たちのひたむきな取り組みと重なって見える。

2001年、アメリカ合衆国のスノーバードにて17人の著名なITエンジニアが発した「アジャイルソフトウェア開発宣言」から、以下を引用する。

プロセスやツールよりも個人と対話を、
包括的なドキュメントよりも動くソフトウェアを、
契約交渉よりも顧客との協調を、
計画に従うことよりも変化への対応を、価値とする。

いまやソフトウェア開発だけでなく、すべての仕事に通底する言葉となった。
スタートアップなど、事業開発の原点も、ここにある。

「計画に従うことよりも変化への対応を、価値とする。」

変化へ俊敏に対応する。

DXを実現するキモは、ここにある。

『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』の中国語簡体字・繁体字版の翻訳出版版権が販売決定

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プレジデント社様から、『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』の中国語簡体字繁体字版の翻訳出版版権が販売された、とのご連絡を受けました。
この場を借りて、この企画に携わっていただいた関係者の方々に、厚くお礼申し上げます。
これをもって近々、中国大陸並びに台湾に『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』の翻訳版が配本される予定です。

私が編集者になって担当書籍が初めて翻訳版権が売れたのは台湾で、その時の書籍のテーマはマイクロソフトASPSQLのプログラミング入門書(『ASP/SQLで作るWebデータベース入門』)でした。
「これは素晴らしい技術書だ!」と、わくわくしながら年末年始お正月返上で休まず本づくりをしていました。出版後すかさず台湾からオファーがかかり、とてもうれしかった記憶は昨日のことのようです。
国内での販売では取り立てて目立ちませんでしたが、「見ている人は見ているのだなあ」と、自分一人で納得していました。
そして、あれから20年。
台湾がIT立国になって見えたことは(2018年9月に台北と高雄に行ったときには驚愕)、編集制作した「取り立てて目立たないいIT書籍」の版権を粛々と買い続け、粛々と日本人の知見を吸収し、知らぬ間に日本の技術を乗り越えていた、という物語です。

本の力、技術の力、人の力、恐るべしです。

そして、私が制作し翻訳出版されたIT書籍がオードリー・タン氏にも読まれていただろう(はずだ)と考えると、誇らしくもあり、また、ITが変える未来の世界への期待もますます膨らみます。
『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』は、他のアジア諸国からも版権取得オファーが来ているとの報告を受けています。
私が作り手となって初めて体験した翻訳書籍出版の成功を祈りつつ、本作品が我々アジアの読者のITリテラシー向上に貢献できることを心から祈っております。
重ね重ね、本作品の制作や営業にかかわられた関係各位には、厚くお礼を申し上げます。