本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

●読みました:『群衆と権力』(上・下)(エリアス・カネッティ著) ~群衆から個人の在り方を考える本~

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今回は、書評のベースとなる、本文からの抜粋などによる「読書ノート」をまとめてみた。
20世紀の奇書『群衆と権力』全巻の外観を共有できたら幸いである。

パラノイア患者あるいは権力者以上に群衆の諸性質をはっきり見抜く眼を具えている者はたしかにいないし、かれらの--いまでは恐らく誰しも認めるとおり--帰するところはひとつである。だが、かれが--両者を同一の代名詞で表そう--関係する群衆は、かれが敵対し支配しようとする群衆にかぎられている。これらの群衆はすべて同じ顔をしている。
(本文より)

●歴史的情報
エリアス・カネッティ(1905年7月25日~1994年8月14日)
ブルガリア出身。スペインから逃れてきたユダヤ人の家系。英語、フランス語、ドイツ語を学ぶ。本書はドイツ語で執筆。オーストリア・ウィーンに移住のちにイギリスに亡命最後はスイスに移住『群衆と権力』の完成までに35年かかった。

●この本に流れる基本思想
・群衆の発生論
・群衆と権力のイメージ論、シンボル論
・「権力とは何物か」の解剖学
・他人との「接触恐怖」は、自分が「他者と違う」ことから発生する
・他者との違いが恐怖となるのなら、自分が他者と同じになればよい
・「自分」がないのが群衆である
・群衆になったとたん、今度は他者と押し合い密着することが快楽になる
・これが、群集心理である

< この本の枠組み >
●すべては「イメージ論」
●群衆の発生源群衆の発生源は、他者との接触恐怖→自分を「群衆」と一体化・無人格化して、恐怖から回避恐怖とは「死の恐怖」無人格ゆえに、行動に理性はない。無人格ゆえに、殺害の対象になる。とはいえ、「死者の群衆」に対する恐怖を群衆は持つ(恨みや怨念のイメージ)
●群衆の生存条件敵や対抗するものが存在する必要がある
敵味方、男女、生者死者、これらの対立は群衆の存続に大きな意味をなす。(p.76~95)
●群衆の象徴仮面、炎、風、旗、民族→群衆とは共有している「イメージ」である。

以下本文より
イギリス人のシンボルは、船長。
オランダ人は、堤防。
ドイツ人は、軍隊と森。
フランス人は、革命。
スイス人は、山岳。
スペイン人は、マタドール。
イタリア人は、ファシズムでシンボルが剥奪された。
ユダヤ人は、出エジプト、荒野を歩く集団。

さまざまな命令の棘を刺しこまれ、それらの棘のために窒息しそうな精神分裂症患者以上に、群衆を必要としている人間はいない。かれは群衆を外部に見出すことができないのであり、したがって、かれは自分の内部の群衆に身を委ねるのである。(下巻p.71)

●権力の発生源人間の本能、生殖欲、生存欲、増大欲、自己保存欲、死の恐怖
●権力の象徴手、歯、大量、変身命令、仮面、生き残り、言葉、日付、命令、質問

人間が活動中の両手を眺めたとき、その両手がつくりだす多様な形態は次第に人間の心に深く刻まれて行ったに違いない。このようなことがなかったら、われわれは恐らくさまざまなもののシンボルを形成することを、したがってまた話すことを習得するには至らなかったであろう。(p.318)

獲物や殺害と直接関係のない、手の単独の破壊欲が存在する。その破壊欲は純粋にメカニックな性質をもち、さまざまのメカニックな発明はそれの延長上にある。(p.319)

他の誰よりも多く食べることは、その食べる者が所有している動物たちの生命の破壊を前提する。(p.322)

人々はいっしょに坐り、かれらの歯をむきだしにして食べるが、この危険な瞬間においてさえ、互いに相手を食べたいという欲望を全く感じないのである。 (p.323)

笑いは確実と思われる獲物ないし食物を喜ぶ感情を含んでいた。(p.327)

楽器の多様さは人間たちの多様さの表れにほかならない。(下巻p.190→オーケストラ)

手だけにかれは服従する。(下巻p.191→同上)

●権力の象徴の詳細
手:掴むもの、オーケストラの指揮者(群衆と権力者)、命令、指示、言語
歯:食べる、咀嚼する、消化する、大食大量:財宝、貨幣、宝石
変身:トリックスター、精神病患者、昇進、昇格、転籍

「生き残り」が、権力者のエネルギーを再帰的に高める。権力に特有の情熱、つまり生きのこることへの情熱の増大につれて、ともに増大する特性をもつ。(p.363)

シュレーバーの『回想録』より。全人類が絶滅してしまったのである。シュレーバーは自分自身をまだ残されている、ただひとりの実在の人間とみなしていた。(下巻p.262)

問う者の立場から見ると、問いの効果は権力感情の高揚である。かれはこの感情を楽しむ。(下巻p.9)

もっとも悪質な専制政治は、もっとも悪質な問いを発するものである。(下巻p.10)

未知の身体は同時にまたひとつの場所でもある。それの臭いをかぎ、それに触れることによって、動物はそれに精通する。われわれ人間の用語に翻訳すれば、動物はそれに名をつけるのである。(下巻p.12)

命令の力はすべて死の脅威から引きだされてくるのである。この力は望ましい行動を引き起こすのに必要な程度を不可避的に越えてしまうのであり、これこそ命令が棘を形成するにいたる理由にほかならない。(下巻p.81)

人間たちを動物に変えたいという願望は、奴隷制度の発展にとってのもっとも強力な動機であった。この願望のエネルギーは、その逆の、動物たちを人間に変えたいという願望のエネルギー同様、どれほど重視しても足りないくらいである。(下巻p.168→ロボット)

時間の調整はあらゆる支配権のもっとも重要な属性である、といっても過言ではないだろう。自らの地位を維持しようと欲する新しい権力は、また時間の新しい秩序を施行しなければならない。新しい権力は、あたかもその権力と共に時間が始まったかのように見せかけなければならない。(下巻p.195)

どこかの精神病院で途方に暮れ、見捨てられ、蔑まれながら薄命の生活を送る狂人は、かれがわれわれにもたらす認識を通じてヒトラーやナポレオンよりも大きな意味をもつにいたり、権力の呪詛と権力をほしいままにする者たちを人類のために白日のもとにされしてくれるかもしれない。(下巻p.272)

●群衆と権力→双方の発生源は、死の恐怖、生存欲求
(個人)→群衆を形成=非人格化、敵の発見
    →権力を形成=群衆を必要とする、仮面をかぶる、生き残り、変身を操作(王)

現在ひとつの信仰があるとすれば、それは生産信仰であり、増大に対する現代的熱狂である。そして、地上のあらゆる民族が次々とそれのとりこになりつつある。(下巻p.306)

商売のポイントは、できるだけ多くの顧客を獲得することである。したがって、理想的にはすべての人間を獲得することである。この点において、商売は、たとえ表面的なことにすぎぬにせよ、あらゆる個人の魂をものにしようとする普遍的宗教に似ている。(下巻p.306)

商品の増殖を通じて、生産は本源的な意味での増殖、つまり人間自身の増殖に回帰するのである。(下巻p.306)

権力者たちは、今日では、以前のように自らが権力者だから不安なのではなく、他のすべての人間たちと少しも変わらなくなったような気がするから不安なのである。権力の古代的な構造、権力の核心、つまり自分以外のあらゆる人びとの生命を犠牲にしての権力者の安泰維持は、その不合理を論破され、粉砕された。権力は以前よりも増大したが、以前よりも不安定なものになっている。今日では、あらゆる者が生きのこるか、誰ひとり生きのこらぬか、のいずれかであろう。(下巻p.312)

●まとめ
人は、権力者が「なにを望んでいるのか」をたえず知る必要がある。
権力は、時代と共に自滅する。
時代は、新たな形態の権力を生む。
群衆と権力はいつでも紐付きである。
権力もまた、群衆である。
商業社会は必然的に「数の増大(=群衆の形成と獲得)」を求める。
それに伴い、「増大した数」を「支配」(生存や生殖のための)する「権力」が求められる。
現代は、「新しい群衆と権力」を形成している。
「新しい群衆と権力」は、猛スピードで更新されている。

●考えられる新しい権力(「数」の時代)
宗教(数や言葉の上位概念=「精神」として)
SNS・ネット(数や言葉が流通する仮想空間として。宗教で言う「寺院」「聖堂」)
法律(言葉、規約、コンプライアンス
仕組み(コンピュータシステム、金融工学マクロ経済学統計学データマイニング機械学習人工知能
データベース(言葉の増大)
ビッグデータ(数の増大)

< 結論 >
権力がほしければ、「グル」か「数学者」になろう。

しかし、権力には「変身」の自由がない。

精神病患者と同様、権力には精神に自由がない。

群衆と同様、権力には人格もない。

結果、「権力には意味がない」

権力とは「イメージ」にすぎない。

本来の自由な人間に戻ろう。

自他の変身を許し、流動的でダイナミックな生き方を人間性に投影しよう。

それが最も高貴な人間である。