本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

第35回・飯田橋読書会の記録:『現代経済学の直観的方法』(長沼伸一郎 著)~「縮退」の停止した多様な世界はどこに?~

f:id:tech-dialoge:20211117171248j:plain

毎回連続したテーマを取り扱わないことをモットーとした飯田橋読書会。
前回の『孔子伝』(白川静著)から変わって、今回は『現代経済学の直観的方法』(長沼伸一郎 著)を取り上げる。
世界的に経済が混乱をきたすいまだからこそ、経済学に取り組むことには意義がある。

毎回連続したテーマを取り扱わないといいながらも、非連続で経済に関するテーマを取り上げてきたことは付け加えておく。読書会第1回目の『トランスクリティーク』(柄谷行人 著)をはじめ『ヴェニスの商人資本論』(岩井克人 著)と、今回は3冊目である。

さらに今回は、記念すべきキリ番の第35回目(2021年10月30日(土)開催)だ。
第1回目の読書会が開催されたのは2014年1月25日(土)で、実に8年目。
年が明ければ9年目。
ここまで継続できたのは、まさに僥倖である。

進歩とは資本主義の必然か? 人類の必然か?
今回も新型コロナウイルス対策としてZOOMにて開催した。

チェックインでは、ワクチンの副反応がひどい編集者のMさんとAさん、最近移転して勉強&求職中のAさん、巣ごもり需要のギター売買を繰り返すNさん、ジム通いで美と健康を追求するM女史など、相変わらず元気な顔触れであった。

『現代経済学の直観的方法』は非常に面白いベストセラーということで、Nさんからの紹介による作品として今回は取り上げるにいたった。

内容に関し、まずは「物理数学者が解釈した経済学」という位置づけで、非常にユニークな切り口だった。
銀行券を発行したイングランドを紹介しながら、貴金属から紙幣が開発された経緯を経て、貯蓄で減少した通貨量を自在にコントロールできる利便性、帳面上の数値を担保に貨幣を追加流通させられることなど、信用創造のメカニズムの解説は腹におちた。
統計の本を20冊読破したM女史の「とても面白かった」「良くまとまっていた」という声など、参加者からは総じてポジティブな意見だった。

全体として、高校教科書の経済学に書かれた内容がうまくまとめられているという印象。独特のたとえが面白い。
一方で、前半でふんだんに使われている図解が、かえってわかりづらくしている印象もあった。
イスラムを絡めた歴史と貿易の話は興味深く読むことができた。また、為替と利子のことには謎が多く、これらの話は入っていたらよかったとも個人的には感じた。

本作を読んだ印象を受けて、いまの日本を取り巻く経済へと議論が移った。

長期のデフレが続きながらも日本政府は通貨量を増やさず、

「もしかしたら日本は壮大な実験をしているのではないか?」
「日本は脱資本主義をしようとしているのかもしれない」

という興味深い意見も聞かれた。
今回のコロナ禍を通して見えてきたこととして、「日本は底辺を救う政策が好きだ」という意見もあった。
とはいえ、企業の内部留保がこの状況下で増加傾向にあることや、資本は相変わらず特定の層に集中しトリクルダウンなど一向に起こらなかったではないかという、市民的な恨み節も聞こえてきた。

「そもそも、人間はなぜ進歩が必要か?」という疑問に「資本主義は進歩が必須です」という返答があり、人間には進歩が必要だから資本主義がある、資本主義があるから進歩が求められる、といった、卵が先か鶏が先か論も提示された。

一つの考えとして、資本主義という自由の仕組みが、人間の創造欲求と生存欲求を正当化しているともいえる。
しかしながらそう考えると、人間の創造欲求と生存欲求を解放しながら、一党独裁という制約の仕組みが資本主義的な経済の成果を上げている中国の存在は奇妙だ。本来自由に発想し、共創・協創し、価値を生み出す資本主義の本質が覆させられたような格好である。

ベルリンの壁が崩壊する5カ月前の1989年6月4日、北京で天安門事件が起き、政府の武力で多くの死傷者が出た。
それでいて各国が経済・外交に断固と制裁を加えなかったのは、ひとえに、中国の巨大な経済力であったといわれている。
「カネさえあればなにをやってもよい」のモデルを一つ作ってしまったのである。
果たしてこのモデルがこれからも続くのか。いまはその判断の過渡期にある。

「縮退」の停止した多様な世界とは?
作者の長沼伸一郎氏は「縮退」というキーワードで読者に問題提起する。
世界はグーグルやAppleAmazonなど一部の巨大企業が支配する「縮退」の方向に向かっていることを指摘する。
湖の中で強力な外来種は在来種を追いやり、外来種の個体そのものは増加する。しかし、種の多様性は滅びる。
このような生物学にも例えているように、経済では資本は拡大するが、多様性の低下で資本を生み出すインフラである文明がダメになる。
これが、縮退だ。
作者は経済学者J.M.ケインズの言葉を引き、文明を「薄い頼りにならない外皮のようなもの」とし、これが世界の多様性を支えていると言う。

駅前の小さな書店やおもちゃ屋もほとんどなくなった。
町からは商店街がほとんど消えてしまった。
これも、目に見える縮退の一つだ。
グーグルやAppleなどのデジタル巨大企業は「総ドリ」ができる。
物体の存在しない無限なデジタル空間では、根こそぎ市場をとっていくことが可能である。

こんな縮退を防ぐものに、作者は「大きな物語」の共有が必要であると主張。
すなわち、かつてのマルクス主義ケインズ主義、毛沢東主義といった「〇〇主義」や、最近ではSDGs(持続可能な開発目標)やMMT(現代貨幣理論)も、「大きな物語」に加えてよかろう。

こうした「大きな物語」が、縮退をとどめることができるのだろうか。
いまの私にはわからないが、少なくとも人間が人間の首を絞めて自滅するという、いままでとってきた行動様式からの人類の大転換はすでに迫られていることだけは断言できる。

トマ・ピケティが『21世紀の資本』で、従来型の資本主義である限り富の格差は広がり続けるという現実を、人類数千年のデータを紐解き訴えてきた。

縮退が停止したフラットな富の世界とは、どういったものなのだろう。
ITが高度化したいま、人と人との間の障壁や過去の仕組みを取り払うDX(デジタルトランスフォーメーション)が、その一つの解を与えているだろう。

最後に、会の談話の中でデヴィッド・グレーバーやジョン・ロールズという現代経済学者の名前も出てきたことは付け加えておく。

     * * *

さて次回課題図書に関し、メンバーで議論が繰り広げられた。
ロシア文学から『巨匠とマルガリータ』(ブルガーコフ著)はどうか。
いやこれは大作すぎるので台湾文学や魯迅などはどうかという意見。
トルコのノーベル文学賞作家のオルラン・パムクはどうか。
安部公房の『砂の女』やポール・オースターカポーティなど。
作名や名前が飛び交った。
そんな中、「超古典」というキーワードが出てきた。
そこで早速、紀元前のギリシャ悲劇に話が遷移した。
次回は、ソフォクレスの戯曲を全作取り上げることに決まった。
いまはちくま文庫で手軽に読むことができる。
時間がなく全作読破できない人は、最低限『オイディプス王』は読んでおきましょう。

それでは次回、ギリシャ四大悲劇作家の横綱ソフォクレスの戯曲に挑戦いたします。

では次回も、お楽しみに。