少女の頭蓋骨から作った杯を見たとか、川の上の娼館から落ちた娼婦が鰐に食われたとか、どこまでが本当でどこからが詩想なのか、境界線がほとんど見えない金子光晴(1895~1975年)の作品は面白い。
本作は純粋な紀行文学、文明論、エッセイとして味読できる同詩人の傑作である。
第一次対戦後、1930~1931年にかけ、詩人が太平洋戦争前の大都市パリに滞在したときの物語。
無頼漢がいたり、気が狂う者がいたり、行き詰まって自殺する者がいたり。現地で出会った濃い日本人たちとの交わりが生き生きと描かれている。
額縁を彫ることや春画を売ることで金子光晴は生活のためにその場その場でお金を稼ぎ、「売春以外はなんでもやった」という。
あるときは妻の森三千代に帰国費用として日本から送金されてきた現金を着服し、彼女と豪遊するくだりがある。現金欲しさというよりも、妻との別れを惜しんでのことだと本人は弁明する。
このころの金子光晴は森美千代と仲良しで、長崎に置いてきた息子のことを気遣っていたり、パリからベルギーに森美千代を追いかけて行ったりもする。
のちに金子光晴が人気作家として地位が上がってくるにつれ森美千代との対称性が崩壊し、二人は離婚と結婚を繰り返すことになる。不思議な関係性を持ったカップルである。
西洋文化にほとんどかぶれることなく、この時代のパリを、世界都市の中の一つとして冷ややかな目で見る彼の視点が新鮮である。また、都市論としても面白く読むことができる。人やお金の入れかわりの激しさは、いまの東京のそれを見ているようで、詩人の記述には古さを感じさせられない。
彼の、作家・詩人・クリエイターとしての徹底した精神の自由には深く尊敬する。それでいて生きるためにはなんでもやるしたたかさと柔軟さがある人物で、なかなかいまの時代には見かけない骨太な人物である。
ちなみに最晩年の金子光晴は、芸風を大衆喜ばせ路線に振り切り、完全なエロ爺さんを演じることになる(参考:『金花黒薔薇艸紙』)。
金子光晴もおそらく、多くの作家たちと同様、彼の死の5年前に命を絶った三島由紀夫を見て、これまでの表現としての文学が消滅し、商業とエンタテイメントの道具になった文学を悟った結果が、彼の芸風チェンジの動機であるに違いない。
冷静で自分に正直、優しくて反戦で人間愛に満ちた詩人、金子光晴の魅力にアクセスできた貴重な作品だった。
最後に、詩人がパリを去りベルギーに土地を移したときの文を引用する。
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僕らの度を越えた貧窮は、神も、悪魔も同じように枯らしてしまう。僕は、アミーバとおなじように生きているだけだ。一つの星座でありうるアミーバは、僕よりも、明日をもっているだけですぐれている。アミーバとおなじに僕の手足がさがしているものは、たとえそれが恋愛であったにしても、分相応な獲物にすぎない。枯れた日々の施物として、神からもらえる筈の一宿一飯にすぎないのだ。
パリの街には、哲学をもった乞食の精神があって、その臭気があの都会の台所のすみばかりでなく、サロンの天井まで滲みこんでいた。
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