本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

新時代を迎えるための「ITの教養」を身につけるには?

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社会のIT(情報テクノロジー)化が急激に加速している。
エンジニアとして、編集者として、私がIT業界に身を置いて29年が経過したいま、これまでで最も、変化は劇的で身体的であると実感している。

そんな中、国内の企業ではテレワークの導入が遅れている。
普及率の上昇が喧伝されるものの、実際にはさほど普及していない、というのが私の個人的な印象だ。

その印象を裏打ちするデータを、大手クラウドストレージ・サービス企業のDropbox Japanが7月13日に公表している。
日本国内のナレッジワーカーを対象に行ったアンケートで、6割がテレワークを導入しておらず、さらにその5割以上が「テレワークでできる業務がまったくない」という。そのうえで、経営者・部長クラスの半数近くが「テレワークのメリットを感じていない」と回答する。
国内の過半数がテレワークを導入しておらず、その半数のリーダーたちが「メリットを感じていない」という結果である。

この社会状況下で、しかもテレワークとの親和性が高いはずのナレッジワーカーのリーダーたちが、テレワークの導入に消極的とは、一体何が起こっているのだろう。

ITの知識構造は平坦でない
組織やワークスタイルの課題もさることながら、この消極性の背後にはITの知識にまつわる課題が大きい。それが変化への恐怖という心理作用と相まって、消極性を後押ししているように私には見える。

企業内でよく見られるITの知識にまつわる課題は、以下の2点に要約される。

①ITの俯瞰的な基礎知識が社内で共有されていない
②意思決定者の知識と現場の知識との乖離が激しい

「①ITの俯瞰的な基礎知識が社内で共有されていない」は、ITが複雑多様化したいま、むしろリーダーに俯瞰的な基礎知識が抜け落ちている場合が多い。
ここで言う「俯瞰的な」とは、テクノロジーだけでなく、経営やマーケティング、サービス、社会とのかかわりなど、関連するすべてを含めたITの知識や見方を指す。
とくに経営や管理を企業から任されているリーダーたちは、刻々と変化するITの表面的な情報を逐一追いかけることに多くの時間を費やす。
言い換えると、ITのトレンドやキーワードを追いかけるだけで成立してしまう(ように見える)仕事は多い。

もちろん、深い経験に裏付けられた知識を持った優れたリーダーはいるし、逆に聞いては恥ずかしいITの知識をそのままにするリーダーもいる。スタッフにテクノロジーの知識はあるが顧客やサービスの知識はなかったり、あるいはその逆など、さまざまである。

このように複雑化し標準化が難しいITの知識構造がある上に、情報が共有されていない。共有されていないゆえに、「②意思決定者の知識と現場の知識との乖離が激しい」が発生する。①と②は絶えず社内をぐるぐると回っている。
日本の企業内でよく見られるITの知識構造だ。

人をITへと近づける好奇心の力
日本社会のインターネット化が急速に進んだ1995年。
この年の11月にはWindows95マイクロソフトからリリースされた。日本のITユーザーたちは「誰でもインターネットができる!」と一気に沸き立った。
そこから、人々がスマートフォンや電子決済に日常で触れるといった、IT社会が日本に形成された。
たった25年である。
これを「ドッグイヤー」に換算したら、通常の年数経過の7倍、実に175年が経過した計算になる。
大胆な言い方が許されれば、この25年間で、175年分の高密度な情報がITの中に詰め込まれてきたのである。
ちなみに175年前といえば1845年。
まさに、幕末がこれから訪れる、という時期である。

ITの知識を手にすることは語学と近い。
その国の言葉を身につけるにはその国の言葉を使う人たちの文化とマインドを俯瞰的に知る必要がある。
キーワードの暗記と会話だけでは理解に限界がある。
「文化とマインドを俯瞰的に知ること」とはつまり、「教養を身につけること」である。

再び語学を例に取り上げる。
語学を身につける最短距離は、その言葉を使う人種の異性を恋人にすることだ。
好きな相手を知りたいという強い好奇心とともに、相手に近づき、言葉でコミュニケーションを交わす。より高度なコミュニケーションを交わしたいという欲求と共に、語学力が高まる。

知識を手にする原動力は暗記力ではなく、好奇心の力である。
そして知識が血肉になることで、知識は教養になる。
好奇心があれば気づきが起こり、新しい発見と知識が手に入る。
好奇心はインサイトの原動力でもある。
そしてインサイトイノベーションを引き起こす。

好奇心がシリコンバレーを動かす

ITがイノベーションの産物であることは、これと深い関係にある。
ヒューレット・パッカードの小さなガレージからはじまったシリコンバレーイノベーションがそれを証明している。
倒産させた企業の数が少ないと「チャレンジ不足」としてその経営者の評価が下がるという、シリコンバレーのスタートアップ・マインドは、日本社会にはほぼ存在しない。
もちろん、お金の流れや投資家の意識、そもそもの起業風土など、シリコンバレーの例をそのまま日本と比較することはかなり無理がある。
しかしながら、黒船来航を凌駕するような急激な変化を強いられたいまの時代、シリコンバレーから学ぶことは非常に多い。

好奇心は、見えなかったものを見えるようにする。
好奇心は知識を深くし、記憶としての知識を教養へと昇華させる。
こうして得られたITの教養が、自らを助ける。

好奇心と教養が、従来の価値観が変転するいまという時代を生き抜く力となる。

「けしからん」を乗り越える好奇心と教養が、新時代を拓く
日本からさまざまな産業が衰退し、国力が低下した原因は、この、好奇心の低下が大きい。
古き良き日本は、トランジスタ・ラジオやヘッドフォン・ステレオ、オートバイや自動車の開発に、国民全体がワクワクと好奇心を持っていた。

出会った事物へ関心を持ち、好奇心を持ち、取り組み、知り、味わうこと。
そして新たな疑問を持ち、自他に問うこと。
それが、教養になる。

身につけた教養は必ず、自他を助ける。
リモートワーク、非接触の時代だからこそ、ITの教養を積極的に身につける。この困難な時代を共に乗り切り、時代を切り拓く。それを実現するためのエンジンが、好奇心、である。

日本人は保守的だといわれる一方で、伝統を大切にする人種だとも評価される。
また、保守的と言われながらも、素知らぬ顔で新しい文化を取り入れ自分のものにする、ある意味したたかな面も兼ね備えている。
西から来た文化の東の終着点が、日本である。
したたかであるといわれる日本人は、他の文化を壊さず、自らの文化も壊さない。

そんな私たち日本人が、これからどんな変化を起こすのだろうか。
そしてこの状況下で「けしからん」と言われようが、いかにワクワクと好奇心をもって、したたかにITの教養を社会共有し、イノベーションを実現するのか。
いままで日本人が出会ったことのない難題をどのように解いていくのか。私たちに与えられた大きな課題である。

三津田治夫