オビにあるマリオ・バルガス・リョサの賛辞の通り、心に残る、忘れがたい作品だった。
金髪の野獣と言われたナチス親衛隊のナンバー・ツーでユダヤ人大虐殺の首謀者、ラインハルト・ハイドリッヒと、それを追うチェコの2人の刺客を描いた一大ドラマである。
この作品のユニークさは、「歴史小説を書く小説」というスタイルにある。
作家は時折恋人に原稿を下読みさせたり、歴史小説とはいかなるものかと苦悩したり、その課程を作中随所に織り込む。
作家は、歴史小説が現実の行間をありもしない事実で埋めてしまうことに疑念を抱く。
その姿勢が率直で、真摯で、共感する。
本を手にした瞬間、いまの時代にどうしてナチスなのかとも思ったが、欧州諸国、とくにフランスではドイツの政治経済への不満が高く、その雰囲気を反映していることを察した。
ベストセラーには時代との整合性が必ず求められる。そもそもが、フランス人はドイツ人をあまり好きでない。
ヒトラーによるパリ陥落、シャルル・ドゴールのロンドン亡命政府という、大戦中の屈辱の歴史をはじめ、両国には諸々摩擦がある。
隣国同士は仲がよろしくないという状況は日本でもまったく同じ。
ナチスの報復としてリディツェ村の住民が虐殺された。住居が焼き払われ、重機により土地が消滅させられる破壊描写は壮絶。
なぜこんなことを人間がするのだろうか。
同様に、世界中の人たちは、広島や長崎を見て、なぜこんなことを人間がするのだろうかと思っているはず。それでも戦争や虐殺はいつまでもなくならない。人間は進化しているのだろうか、あるいは進化の過程でこうなっているのだろうかと、私は深い疑問を抱く。
ナチスや虐殺といった怒りと恐怖の描写と、プラハの街へと注ぐ愛と情の描写との対比が印象的。本当にこの作家は、プラハを愛している。歴史と芸術の古都プラハにまた行ってみたくなった。
400ページ近くある長編だが、一気に読める。
有史以来人類が続けている、権力と略奪、破壊の物語。
戦争のいまだからこそ、歴史がなにを行ってきたのか、ぜひ一読をお勧めする。