本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

悪の極限から見えてきた平和と美徳:『悪徳の栄え』(マルキ・ド・サド 著、澁澤龍彦 訳)

正編が黒、続編が赤という装幀が素晴らしい。
マルキ・ド・サドの代表作。
怪女ジュリエットの悪徳三昧の半生が描かれるアンチ・ユートピア小説。

正編では大臣に囲われる娼婦としてジュリエットが登場。
大臣の権力の庇護下で悪徳の限りをつくす。
大臣は慈善施設の破壊によるフランスの人口削減を企てる、私利私欲にとりつかれた極悪人。

続編はイタリアとロシア、スウェーデンが舞台となり、各国遍歴悪行旅行をつくす。
この続編は発禁となり「サド裁判」の引き金となった巻。

「露骨な性描写」が発禁の原因であるとは当時の見解だが、実際にはそういったレベルではなかったのではないかと思われる。「政治レベルの嫌悪感」を検察側に抱かせたのではないだろうか。

つまり続編はエカテリーナやローマ法王と各国の権力者が登場し、皆さん私利私欲にとりつかれた変質者である。

「権力とは悪そのもの。権力を持つ人間は個人的欲求充足と個人的な権力の保持にしか興味がない。かつ変態」というのが、サドの権力者に対する見解。

人間の発想や言動は先天的なものに加え、その環境が影響を及ぼすというが、サドの思想と作品こそまさに、革命の時代のフランスが生みだしたものである。

休日の昼下がり、読み終えて、ふと近所の公園に行った。
親子はキャッチボールを楽しみ、恋人同士は弁当を食べ、車いすに乗った白髪の老人はそれを楽しそうに眺めている。

悪徳とはなんだろう、美徳とはなんだろう、正義とはなんだろう、革命とはなんだろう、戦争とはなんだろう。

サドの世界観と目の前に見えた平和な世界との落差にほっとしつつ、かつ、考えさせられた次第。

澁澤龍彦の歴史的名訳。

三津田治夫