今回の課題図書は、2度目に取り上げることになったオーストリアの作家、シュテファン・ツヴァイク(1881~1942年)の自伝、『昨日の世界』(1942年)であった(ちなみに前回は『人類の星の時間』)。
定例読書会の課題図書として私が初めて選書した作品で、選書しておいて647ページの大作に一瞬面くらったが、非常に興味深く、一気に読むことができた。
書名の『昨日の世界』とは、ウィーン人ツヴァイクの生きた世界(ハプスブルク帝国、オーストリア=ハンガリー帝国)がすべて「昨日のもの」、という隠喩にもなっている。
上巻は作家の少年時代と青年時代。
下巻は作家としての彼の上昇と人生の幕引き。
そして最後のページは、遺書である。
ユダヤ人としてナチスに追われ、60歳で亡命先のブラジルで、本作を書き終えた直後自ら命を絶ったツヴァイクであるが、本作には悲壮感がほとんどない。
ツヴァイクの悲劇的な人生ラストを知った人が本作の冷静さと明るさに直面すると、正直、驚くかもしれない。
本作でも述べられているが、ツヴァイクは劇作家として評価と名声を手にし、リヒャルト・シュトラウスからの懇願によりオペラ『無口な女』の台本を提供。作品は大当たりする。
その後リヒャルト・シュトラウスは、こともあろうか帝国音楽局の総裁に就任する。
これは音楽家からユダヤ人を追い出そうとしたナチスお墨付きの団体で、このあたりからツヴァイクの作家人生の雲行きが怪しくなる。
とはいえ、作家としての人気にとどまるところがなかった。
日本でもおなじみの伝記『マリー・アントワネット』『ジョセフ・フーシェ』『メリー・スチュアート』など、作品は飛ぶように売れた。
ツヴァイクの貢献は、これら特徴的歴史人物の「モデル」を構築したところにある。
最初は貴族のおばかな女子、悲劇の女子のモデル。
次に、状況に応じて手のひらを返す下劣な政治家のモデル。
最後は対極的なパーソナリティを持つ2人の女王の間で繰り広げられた熾烈な女の戦いのモデル。
これらはすべてツヴァイクが作った。
本作に悲壮感がほとんどないことの理由は、彼がやりたいことをやりぬき、本人の意志の外側で大成したところにある。本人自身もここまでビッグになるとは思っていなかった。
作家自身の本質と名声の乖離に戸惑いながらも、冷静に向き合いながら、得られた名声を味わい、楽しむところは楽しみ、ぎりぎりまで状況に折り合いをつけながら生きていったのが彼の人生だった。
「偉大な欧州」の分断と没落に向き合った大教養人の物語
今回の参加者は、主宰のKN、KM、SM、KS、SM、HH、HN(全敬称略)、そして私の合計8名。
今回不参加の論客SK氏からは、メールで「これは文化人の自慢話だ」というけしからん意見を頂戴したが、本読書会のモットーである「権力にくみしない」という文脈で語れば、まことに率直で正しい意見であった。
ツヴァイクの交流録にはロマン・ロランからジークムント・フロイト、フーゴ・フォン・ホフマンスタール、アルトゥール・シュニッツラー、ヨハネス・ブラームス、リヒァルト・シュトラウスまで、日本でも名の知れた数々の芸術家、文化人との絢爛たる交流が続々とあがってくる。
ツヴァイクという強烈な創造的引力が、同時代の偉大なクリエイターたちを自然と引き込んでいった様子が想像できる。
読書会の会場から出てきた声は、ポジティブな意見がほとんどだった。
「最初はとっつき悪かったが、文体がよい。すぐれた作品」
「多面的に読める深い作品」
「圧倒的個人主義者の栄光」
といった、彼の文体や作風への評価や、
「交友録、風俗の記録として読んでよかった」
「大文化人たちとの交流の貴重な記録」
「世界=欧州というツヴァイクの世界観がよく理解できた」
と、彼の幅広い人脈から見えてきた時代と欧州から、
「無教養(ナチス)への嫌悪がにじみ出ていた」
「インフレの記述が興味深かった」
など、「昨日の世界」がじわじわと失われていく過程の記述まで、まさに多角的に、ツヴァイクという一人の芸術家の人生を通した世界を掴むことができる作品だ。
「「よき欧州が失われる」という世界観のもとでの作品」
「オルテガが描いた「大衆社会」の到来を予見」
「第1次世界大戦を通して言葉の力が下ったという警鐘」
「ツヴァイクが遭った「焚書」から、トリュフォーの『華氏451』を思い出した」
などの意見からも、彼の記述は、時代が進むにつれ世界を包み込んでいく暗雲を描いている。
「独裁者から目をつけられて作家人生が断たれたという意味でマヤコフスキーを思い出した」
という彼の終末から読み取れるロシア詩人との類似性や、
「映画『チェスの話』は欧州の晩歌として面白く観覧した」
「カルヴィンを扱った作品『権力とたたかう良心』は面白かった」
と、近年映画化されたツヴァイクの作品や彼の他の作品に関するコメントも聞こえ、これらも大変興味深かった。
自伝という体裁をとりながらも、ハプスブルク帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ナチス占領下といった、3つの時代のオーストリア・ウィーンを彼独特の文体で描きあげた一代絵巻物、芸術作品といった、一言では語りつくせない偉大な作品だった。
「これだけの作品を書き上げられる教養人はいまの時代まずいないだろう」
そんな意見も会場から上がってきた。
これはまさに、その通りだ。
時代と向き合い、言葉にする勇気と力。
これこそが、教養の根底にあるものだ。
本作を通して実感することができた。
帝国の崩壊、世界大戦 ~本文ダイジェストで読む『昨日の世界』~
『昨日の世界』(Ⅰ・Ⅱ)という647ページの多面的な大作は、まずは本文に接することをお勧めする。
しかし、それなりの時間を要することも事実だ。
そこで以下は、本文(『昨日の世界』(Ⅰ・Ⅱ)みすず書房刊、原田義人訳)からの抜粋を中心に、本作の魅力をハイライトでお届けする。
彼の語り口から本作の文脈を読み取ることができたら幸いだ。
なお、読みやすさのために原文にいくつかの改行を入れていることはお断りしておく。
まず、「昨日の世界」であるハプスブルク帝国に関する描写から。
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一人の老齢の皇帝に支配され、老いた大臣たちに統治されたオーストリアは、老いた国家であり、野心もなく、ただあらゆる過激な変化を防ぐことによってヨーロッパの只中で安全無事に保身しようとだけ望んでいる国家であった。
実際、本能からつねに急速で過激な変化を欲する若い人たちは、それゆえ、できるだけ長く遮断されたり抑圧された危い要素であった。
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老齢の皇帝とは、フランツ・ヨーゼフ一世である。
千年王国が崩壊する晩年は、老いが支配し、若さとは遮断や抑圧であった。
国家が成熟すると老いが支配する。
いまの日本を見ているようで、大変目を引く記述である。
さらに、若さに関して、次のように述べられている。
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今日われわれにとってうらやむべき所有と思われる、若々しさ、自負心、不敵さ、好奇心、青春の生命欲は、「堅実さ」の感覚だけを持つあの時代では、いかがわしいものとされていた。
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現代人の間では、若さを否定することは格好悪い。
あたかも若さがすべてのような趣さえある。
ツヴァイクの時代にはアンチエイジングという言葉すらなかったが、若さへの嫌悪があった時代というのは興味深い。
そして時代は、戦争と国家の崩壊へと突入する。
戦争のはじまりと世間を取り巻く空気が、短かい文章の中に見事に描かれている。
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一九一〇年にフランツ・ヨーゼフ皇帝は八十歳を超えた。すでに象徴となったその老帝は、もはや長く在位を続けることができなかった。
そして、この人物の歿後には千年続いたこの君主国の瓦解は避けられない、という神秘的な感情が、耳に聞えるほどに拡まっていた。
国内では諸民族の圧迫が互いに強まり、国外ではイタリー、セルビア、ルーマニア、そして或る意味ではドイツさえも、この帝国を分割しようと待ちかまえていた。
バルカン戦争においては、クルップとシュナイダー=クリュゾーとの二大兵器会社が、その製造した大砲を互いに外国の「人的資源」でためしてみたが、それは後日ドイツとイタリーとが、彼らの飛行機をスペイン内乱でためしたのと同じであった。
このバルカン戦争はわれわれをいよいよ動乱の急流へ引き入れたのであった。
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「分割」という言葉に、その経験がない日本人はイメージがしづらい。
国家が地続きの彼らにとって分割は脅威であり歴史的必然であった。
バルカン戦争は第一次世界大戦へと拡大する。
1914年6月28日、サラエボ事件にて、王位継承者のフランツ・フェルディナントとその妻がセルビア人集団に暗殺される。
第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件とフランツ・フェルディナントの名前は広く知られているが、彼の人間性について知る人は少ない。以下はその記述である。
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フランツ・フェルディナントには、オーストリアにおいては真の大衆の人気にとって測り知れぬほど重要であるところのものが、まさに欠けていた。
すなわち、個人的な愛嬌、人間的な魅力、外見上の親しみやすさである。
私はしばしば彼を劇場で観察したことがある。彼は自分の桟敷に、いかめしく横柄に座を占め、冷たい、動かぬ眼をして、ただの一回でも親しげな眼差しを一般観衆の上に向けず、また心からの拍手で芸術家たちを鼓舞することもなかった。
彼が微笑しているのを見た者はなく、どの写真もうちくつろいだ態度を示してはいなかった。
彼は少しも音楽にセンスを持たず、ユーモアに対してもセンスがなく、彼の妃も同じように不愛想な目つきをしていた。
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なお、サラエボ事件とハプスブルク家に関しては、こちらのエントリも参照いただけたらと思う。
第一次世界大戦がもたらしたものは、世界規模の大きな退歩と、分断である。
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実際、人間の個人的な行動の自由の制限とその自由諸権利の減少くらい、第一次大戦以来の世界が陥った非常に大きな退歩を、眼に見えて明らかに示すものはないであろう。
一九一四年以前には、大地はすべての人間のものであった。各人はその欲するところに赴き、欲するだけ長くとどまった。
許可もなければ承認というようなこともなかった。
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戦時に必ず起こるプロパガンダのはじまりが、このときだった。
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宣伝が平和のときすでに利用し尽されてはいなかった当時においては、諸民族は何百回も幻滅を味わわされるにもかかわらず、印刷されたすべてのものを、まだ真実と受け取るのであった。
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虚構から真実を彫り上げる芸術家ツヴァイクの感受性からすると、真実を含まない本物の虚構を、この印刷物から得たに違いない。
戦争に無防備だった当時の経済は大混乱をきたす。
お金に正攻法が利かなくなった時代の状況がつぶさに描かれている。
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四十年間こつこつ貯め、更にその金を愛国的に戦時公債にあてた人は、乞食になってしまった。負債を持っていた人は、それを返済した。
正確に食糧配給を守っている人は飢えた。図々しくそれを破る者だけが飽食した。
賄賂の手を知っている者は事を進め、投機する者は利殖をあげた。
慎重に計算する者は欺かれどおしであった。
金のこのような融解と蒸発とのなかでは、いかなる尺度も、いかなる価値もなかった。
ただひとつの徳しかなかったのである。
すなわち、手際よく、要領よく、狐疑逡巡せぬことである。
そして疾走する馬に踏みつぶされるかわりに、その馬の背に飛び乗ることであった。
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時代の激変、亡命、最期 ~本文ダイジェストで読む『昨日の世界』~
突出した作品が産出される背景には時代の変動が存在する。
ツヴァイクは、正常さと節度の放逐された混沌の中から、芸術の本質の背景にあるものを直視する。
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これまで知られていたものを凌駕する極端な緊張を約束するものなら何でも、あらゆる形の麻薬、モルヒネ、コカイン、ヘロインが、大きな売行を示し、劇作においては近親相姦と父親殺しとが、政治においてはコミュニズムとファッシズムとが、唯一の望ましい、極端な主題であった。
それに反して、あらゆる形の正常さと節度とは放逐された。
しかし私は、この渾沌たる時代を、私自身の生涯からも、芸術の発達からも否定し去りたくはない。
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そして、インフレという形で生活に現れた時代の変動を次のように描く。
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電車では幾百万という金を支払い、荷車が紙幣を国立銀行から市中銀行へ曳いていった。二週間後には十万マルク紙幣は下水溝に見出された。乞食がそれを軽蔑して投げ捨てたのであった。
靴の金具ひとつで以前の靴半足以上の値がした。いな二千足の靴を持つ豪華な店全体以上の値であったのである。
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戦争と動乱の中でも作家は執筆を続ける。
創作の「捨て去る」作業に彼は喜びを感じる。
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この凝縮の操作、したがって劇的なものに盛り上げてゆく操作は、校正刷のとき更に、二度、三度と繰り返される。
それはついには、それが欠けても正確さを感じないで同時にテンポを高めることのできるような文章をもつひとつ、あるいはただひとつの言葉でも見つけ出そうとする、一種の楽しみ多い狩猟となるのである。
私の仕事のうちで、捨て去るということが本来私にとって最も楽しいものである。
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このころから、ツヴァイクの作家としての名声が上昇してくる。
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欲しもしないのに私の著書の売行がよいため、きちんとやってゆくのには整理と洞察と時間の正確さと上手な取扱いとを必要とするような一種の商売にはまり込んでしまった――これらはすべてきわめて尊敬すべき美徳ではあるが、残念なことに私の性質には全く適合しないものであり、純粋で捉われない感覚と夢想とを、このうえもなく危険な形で妨げようとするものであった。
それで講演とか代表者の会議などの機会に出席するとかいうようなことを求めめられるほど、ますます私はひっこみ思案になった。
私という人間で私の名前を代理させねばならないということに対する私の病的な臆病さは、私が今でも克服できないでいるところのものである。
今日でもまだ私は本能的に、ホールや演奏会や劇場上演では、最後列の一番目立たない席に坐らないではいられない。
そして、演壇やそのほかの曝し場で私の顔を人に見せるくらい耐え難いことはない。
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「欲しもしないのに」著作は売れ、商売が「純粋で捉われない感覚と夢想」を妨げ、講演や会議への出席依頼が不本意ながら増えてくる。
自らの成功から生じた名声の拡大に対して得た違和感を、次のような言葉で述べる。
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平常な状態においては、一人の人間が持っている名前は、葉巻に対する外巻の葉の関係以上のものではない。
見分けるマークであり、外的な、ほとんど価値のない客体であって、真実の主体、本来の自我とは、ただゆるい結びつきしかもっていないものである。
ところが成功の場合には、この名前がいわばふくらむのだ。
それはそれを担っている人間から離れ、それ自身がひとつの勢力、力、物自体、取引品目、資本となる。更に内部に向っては激しい反動で、それを担っている人間に影響を与え、その人間を支配し、変貌させ始める力となるのである。
そうなると、幸福な、自信のある人々は、知らず知らずにその作用に慣れてゆき、その作用は彼らに、それと一致しようとする刺激を与える。ひとつの肩書、地位、勲章、そして自分の名前の大衆性までがすでに、彼らのなかに或る高度の安定、高揚された自信をつくることができ、社会や国家や時代のうちに占める特殊な重要さが彼らに訪れてくる、という意識に彼らを導くことができるのである。
そして彼らは思わず知らず、自分の力で自分の外的な作用の容量を獲得するのだ、と思いあがるのである。
しかし、生来自己に対して不信の立場に立っている人間は、あらゆる種類の外的成功というものを、この困難な状態においてできるだけ変ることなく自分を維持する責任として感じ取るのである。
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自分という実体と名前が乖離し、名前は独り歩きする。
そして名前は、自分という実体を支配し始める。
その過程をここまで冷静に客観化した文章には、なかなかお目にかかれない。
名声を得てしまった人間ほど、名声に溺れ、自分の本質の外で生きることを肯定する場合が多い。むしろ、それをよしとするのである。
名声が高まると同時に、ナチス占領下のオーストリアで活動するツヴァイクの、ユダヤ人としての危機が日々現実的なものとなる。
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しかし、私の前に迫っている、これから体験すべきことについては、最遙かな漠とした姿であっても私の心に浮かんで来るということがなかったのである。
すなわち、私が故郷を失い、駆り立てられ、追われ、追放者としてもう一度、国から国へと、いくつもの海を越えてさすらわなければならないだろうということ、私の著書は焚かれ、禁じられ、追放される運命にあり、私の名前はドイツでは犯罪人の名前のように弾劾され、いま私の眼前の机上に手紙や電報を寄せて来ている同じ友人たちが、偶然私に出会おうものなら、蒼白に顔色を変えるだろう、ということ、三、四十年間たゆむことなく続けられて来たすべてのものが跡かたなく消え失せることがありうるということ、この人生のすべては、築きあげられ、見たところは揺ぎもないようにしっかりと私の前に立っているが、めちゃめちゃに崩れることもありうるということ、私は頂上の近くで、すでに疲れやすくなった力と混乱した魂とをもってもう一度始めからやり直すように強いられるであろう、ということを。
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焚書と追放、隣人との隔離など、作家からすべてがもぎ取られていく。
亡命先のブラジルで本作を書き終えて自死することが、この文からもすでに織り込まれていることがわかる。
ラストにはツヴァイクの遺書が1ページ分掲載されている。
ナチスに追われて悲惨な人生だった、という空気は感じられない。
私には、「ここまで十分やり抜きましたから、お先に失礼」という潔さが読み取れた。
人間という宇宙のパーツが、人間の言葉というパーツで歴史を描き、歴史の中に生きる人間という宇宙を描いた、素晴らしい作品だった。
ツヴァイクの作品は、ラストが白眉である。
天国から地獄まで、すべてを見ぬき生き抜いた彼の自信と矜持を、ラストの一文から引用する。
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あらゆる影は、窮極において光の子であり、明るいものと暗いもの、戦争と平和、上昇と没落、その双方を経験した者だけが、ただそのような人間だけが、真に生きたと言えるのである。
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さて、次の第44回は、さらに趣を変えて、南米文学へと目を向けてみる。
名前は知られているのに完読した人が意外と多くない、『百年の孤独』を取り上げる。
1982年のノーベル文学賞受賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスによる作品だ。
魔術的リアリズムの旗手と称される同作家の仕事に迫ってみたい。
架空都市マコンドを舞台に描く473ページの長編小説。
本作からどのような意見が出るのだろうか。
次回も、お楽しみに。