本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

作家を育てた特殊な父子関係を手紙から読む(1) ~フランツ・カフカ著『父への手紙』 新潮社『決定版カフカ全集3』より~

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 西洋文化を見渡すと、ツルゲーネフの『父と子』やモーツアルトの手紙、あるいはフロイト精神分析においても、あちらこちらで「私-対-父」という構図が目に入る。

 カフカという作家はその典型というか、父との関係と作家としてのカフカの精神構造が濃厚にリンクしている。

 カフカと父との関係を一言で言うと、「小さな僕と、動かしがたい壁」みたいな感じだ。

 なかなか目的地にたどり着けない『城』や門番が理由もなく門を通してくれない『掟の門』は、父という巨大な存在の象徴といわれる。

 また、息子が毒虫に変身してしまう『変身』や、オドラデクという星形の小動物が主人公の『父の気がかり』は、自分が小さな動物に縮小することであまりにも大きな父の存在を相対的に表現しているともいわれる。

 こうしたカフカと父親の独特な関係は、自伝のような形で残されている。

 『父への手紙』(手紙というが実際には父には渡されなかった)は、1919年11月、カフカが36歳のときに書かれたものだ。36歳といえば、40歳で亡くなった彼にとっての晩年にあたる。

 作家というものはとても可哀想で、大物になってしまうと読んでもらいたくない手紙まで全集に組み込まれて、世界中の読者や評論家の目にとまり、プライバシーもへったくれもない。

 ましてやカフカみたいに遺族がいない(ちなみに妹はナチスユダヤ強制収容所に連行され全員殺されている)作家となると、生存時の情報は丸裸になる。

 これからの作家や哲学者、科学者など、世に言われる大物は、残された情報が膨大でかつネット上にも分散しているので、仮に遺族が「この情報は出さないで欲しい」と訴えても、なかなかそれは難しくなるだろう(最近はデジタル上のデータを本人の死亡と共に削除してくれるソフトウェアやサービスがあるらしいが)。

 では、『父への手紙』を読みながら、カフカと父親の関係は一体どういうものにあったのかを見ていきたい。

 書き出しからしてこうくる。
 
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 愛する父上
 最近あなたはぼくに、どうして父親のあなたを怖いなどというのか、その理由を尋ねられました。
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 いつものように返答できずにいたが、その理由はあなたに対する恐れがあったからであり、その恐れの原因を明確にするにはあまりにも多くて口では語れず、こうして文章にしているが、どこまで書けるのかわからないほど恐れの要素が多い。そうカフカは言う。

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 父親としては、あなたはぼくにとって強すぎました。とりわけ、弟たちが幼くして死亡し、妹たちはずっと年が開いているので、なににつけぼくが最初の衝撃をひとりで持ちこたえねばならず、そのためには、ぼくがあまりにも弱すぎたのです。
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 カフカは4人兄弟の長男で下はすべて妹だったから、長男としてのプレッシャーは高かった。ましてや実家が小間物商で、家業を継ぐという家父長的な重責も負っている(しかしカフカは家業を継がずに保険局の勤め人になっている)。

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 あなたは子供を、まさにあなた自身の在りようにもとづいてしか、つまり腕力と、怒声と、癇癪によってしか扱えません。しかもぼくの場合、この方法は、あなたがぼくを逞しい勇気のある少年に育てようと望まれていてただけに、なおさら適切だとあなたには見えたのです。
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 長男として力で根性を植え付けようと父親は試みたが、その行為は度が過ぎている。

 たとえば、カフカの幼少時代の記憶で、真夜中に水をほしがりむずがったとき、父親にベッドから抱え上げられ、下着のまま屋外に立たせっぱなしにしておかれたらしい。時代背景があるとはいえ、これは幼児虐待だ。

 「あの後、ぼくはすっかり従順になりましたが、内面的に、ある深い傷をうけました。」と手紙の中でカフカ自身が告白するように、本人の人生に深い刻印を残す。

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 ぼくに必要だったのは、すこしの励ましと優しさ、わずかだけぼく自身の道を開いておいてもらうことだったのに、あなたは逆に、それを遮断してしまわれた。もちろん、ぼくに別の道を歩ませようとの善意からです。
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と書かれているように、カフカに対して強引な指導が行われていたことがわかる。

 いうなれば父親は教育者ではなく暴君だ。

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 そして最後に残るのはあなた一人なのです。ぼくにとって父上は、すべての暴君がもっている謎めいたものを帯びました。暴君の暴君たるゆえんは、思想ではなく、人格そのものにあるからです。すくなくとも、ぼくにはそう見えたのでした。
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 暴君の暴君たるゆえんは、「おまえはやっちゃダメだけど俺はいい。だって俺がおまえを守ってあげているのだから」という思想にある(ex.「平和のために核兵器を持つのはいけないことだが俺は持ってもいいんだ」という某国の言い分もそれに近い)。

 『手紙』によると、カフカの父親のテーブルマナーに関する説教とそれに対するカフカの見解は次の通りだ。

骨をかみ砕くな → 父はそれをやっている
ドレッシングはすするものではない → 父はそれをやっている
料理の食べ残しを床に落とすな → 父の下には一番多く落ちていた

 汚く食事する父親からテーブルマナーをしつけられるカフカに、教育者である父親への疑いが浮かび上がってくる。

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 ぼくにとって絶大な規範者であるあなた自身が、ぼくに課した戒めをご自分では守らないことによって、はじめてぼくを重苦しく抑圧するものとなったのでした。
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 親や教師、上司など、目上の人間が目下の人間から言動の矛盾を口に出されたときから、双方の関係は徐々に狂いはじめる。

(全4回、次回に続く

三津田治夫