ZOOMで開催の読書会ニューノーマル・バージョン第2回目。
時宜にかなった話題として、今回は初のサイエンス書を取り上げることとなった。
お題は『生物はウイルスが進化させた』である。
会場からは、
「中身がよくわからない本」
「理解のためにいろいろ読みました」
という声や、
「ホットな話題。いまや生命の定義が揺らいでいる」
という生命に関する本質的な意見。
「これは議論が難しいぞ」
という会の流れを予見した言葉、
「遺伝子であるウイルスが他者の細胞に取りついて活動するとは、面白い存在」
「ウイルスと生命の攻防を確認し、面白かった」
という好奇心に満ちた発言など、いままで取り扱った文学や読み物から出る言葉とは異なった多様な声が聞こえてきた。
思考とイメージを交換するこの読書会ではあるが、テーマがサイエンスなだけに、正確な概念と用語の知識なしに議論することには危険が伴う。
そうしたリスクを承知のうえで、以下記録を書き綴ることをお許しいただきたい。
ウイルスは全滅させない程度に殺す
まず、「ウイルスとは、生き物と共生する」という意見は興味深かった。
私は、「ウイルスは人を殺すが寄生虫は殺さない。なぜなら、宿主を殺してしまうと寄生虫も死んでしまうから」と、小学校5年の夏休みの自由研究で京成金町の保健所まで母親と取材に行き、寄生虫を調べた記憶がある。
ウイルスは宿主を殺す。
ただし、「全滅させない程度に殺す」。
だから、怖い。
2020年1月、新型コロナウイルスが武漢で確認された。
当初は
「弱性のウイルスだから恐れる必要はない」
「気温が上がってくるにしたがって感染者数も減るだろう」
という楽観論が主だった。
ところが2月以降、世界を取り巻く情報と雰囲気が一変した。
有名芸能人や政治家など要人への感染や死亡なども加わり、4月7日から5月25日にかけて発令された緊急事態宣言により、新型コロナウイルスに対する恐怖心理は人々の間で確実に定着した。
いわば、新型コロナというウイルスは、人間の肉体のみならず、心にまで感染したのである。
そんな社会背景を思い描きながら、会場からは「生命とはいったいなんだろう?」という疑問が聞こえてきた。
かつてなされた生命の定義「自己完結したものこそが「生命」である」では、「ウイルスは生命ではない」とされてきた。
しかし「生命は自己複製するもの」という昨今の定義のもとでは、ウイルスは生命である。
生命の定義は時代とともに変遷する。
それゆえ、「生命の定義は拡大せざるをえないだろう」という意見もあった。
「そう考えると、地球外生命体もいるだろう」とし、
「宇宙レベルで見たら自分の人生にはたいした意味はない」
と結論付ける参加者の声もあった。
「生命の自己複製という現象がなぜ起こったのだろうか?」
という、素朴かつ深遠な疑問も呈された。
生命は進化の過程において「目的がない偶然」によって生き残ってきた。
つまり、無目的で有意なものが生き残ってきたのだ。
「高所の植物を食べるという目的のためにキリンの首が伸びたのではない。その環境でたまたま生き残ったのがキリンという生命」である。
一方で、「なにかの目的への力が働いたのでは」という神秘的な発言も聞かれた。私自身、これはまったくわからないが、科学と神秘が紙一重であることを忘れてはならない。
ウイルスに関連する話題がいくつかあがった。
アポロ計画で乗組員は地球帰還後に隔離された。
未知のウイルス感染の懸念からだという。
当時は地球外にウイルスがいるかもしれない、という危機意識があったからだ。
いまの国際宇宙ステーションでのウイルス管理はどのようになされているのか。興味に尽きない。
細菌を殺す善玉のウイルス「ファージ」がいる。
ウイルスは必ずしも悪玉ばかりではない。
また、ヒトゲノムの43%はウイルス由来であるという。
新型コロナウイルスの時代だから、「ウイルス論的に現代思想を語る人が出てくるだろう。若手で書ける理系の著者はいないだろうか……」という、編集者からの声もかすかに聞こえてきた。
ウイルスといえば、「コンピュータウイルス」がいる。
これは必ずしもマシンを破壊するわけではなく、「悪意のこもったソフトウェア」がコンピュータウイルスであるという定義を再確認した。
生命とは一体なんなのだろうか?
最後に「私とウイルス」をテーマに、本会を終えた。
私には個人的にウイルスのエピソードがある。
25年以上も前の話で、運よく完治できたが、私はC型肝炎にかかったことがある。
会社の検診でGOTとGPTの数値に異変が発見された。
当時は自由診療しかなく、自費で3万円を支払い、血液検査を行った。
検査結果を聞きに行くと、C型肝炎ウイルスが発見されたという。
目の前が真っ暗になった。
当時勤めていた会社のオーナーが元B型肝炎の患者で、ステロイドを用いた特殊な療法によって奇跡的に完治した経歴を持つ方だった。
その療法を行った虎ノ門病院を当時の上司に紹介してもらい、私は急遽入院することになった。ちなみに他の病院では「そんなに急いで入院する必要はない」と言われたが、私がかかった病院では、「治療は早い方がよい」と、すぐにベッドを手配してくれた。
その後半年をかけ、インターフェロンという激しい副作用が伴う薬物による治療を経て、ウイルスは消滅し、一命をとりとめた。
この治療が不成功に終わっていたら、健康ないまの私はいない。
肝硬変か肝臓がんによる闘病生活、もしくは死である。
退院後は通院治療していたが、会社のオーナーと待合室で出会うことがあったり、紹介してくれた上司の上司も私と同じC型肝炎で、この方とは待合室で何度も会った。少ししてこの上司は、C型肝炎ウイルスに侵され、お亡くなりになられた。
この経験を思い出すとともに、生命とはなにかという今回の読書会で呈された疑問から、たびたび自問自答する。
最後に、今回はさまざまな書籍の名前があがったので、参考図書として付記しておく。
『進化とは何か』(リチャード・ドーキンス 著)
『我々は生命を創れるのか』(藤崎慎吾 著)
『破壊する創造者』(フランク・ライアン 著)
『ウイルスは生きている』(中屋敷均 著)
『ウイルスの意味論』(山内一也 著)
『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一 著)
* * *
次回の課題図書を考えるにあたり、芸能関係の書籍や、再び古典に戻ろうかという意見が出た。
「神戸芸能社」を探る本や、『絶対製造工場』(カレル・チャペック 著)は面白そうという意見も出たが、さまざまな議論を経た末、次回は新春企画として、元祖BL小説『ヴェニスに死す』(トーマス・マン著)に決定する運びになった。
次回も、お楽しみに。