本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

第38回・飯田橋読書会の記録:『新しい世界の資源地図:エネルギー・気候変動・国家の衝突』(ダニエル・ヤーギン 著)

地政学」という言葉に皆さんはどのような印象を持つだろうか。
「学」と言われながらも大学で正式に学問されていない分野である。
日本では太平洋戦争敗戦後、国土侵略の思想原理であるとしてマッカーサーにより禁止されていた、など。

今回は、2月に勃発したロシア・ウクライナ戦争を背景に、世界状況を地政学から見てみようというテーマのもと、以下の2冊を取り上げた。

『新しい国境 新しい地政学』(クラウス・ドッズ 著)
『新しい世界の資源地図:エネルギー・気候変動・国家の衝突』(ダニエル・ヤーギン 著)

そして副読本としては以下を取り上げた。

『陸と海 世界史的な考察』(カール・シュミット 著)

今回の参加者は、主幹のKNさんとHNさん、KMさん、KHさん、HHさん、SMさん、SKさん、KAさん、私の、9人というオフラインでの大人数となった。

結論から言うと、『新しい国境 新しい地政学』に関して誰からもポジティブな意見は引き出せなかった。
選書の動機をKNさんに問うと、「柄谷行人が書評していたので面白そうだった」とのこと。
大家の目を通した書評とはいえ、偏った関心の方向性が書評に反映されてしまうこともままある。
結果、話題の中心は、作品の強さや時事性から、『新しい世界の資源地図:エネルギー・気候変動・国家の衝突』となるにいたった。

国土とエネルギー、権力をめぐる世界の物語
以下、会場のメンバーから出てきた言葉をまとめる。

まず、
「宇宙は地政学の範疇に入るのか?」
という、
宇宙ビジネスたけなわの昨今、火星に人類を送り込もうという話もある中、非常に興味深い意見だ。
宇宙が地政学的に語られれば、エネルギー所有権の問題と縄張り争いの話になり、そこから紛争が発生する。
宇宙ビジネスとは、かつて「宇宙規模で考えれば戦争は起こらないのである」と言われていた、人類へのテストでもある。

「そもそも国家、民主主義ってなんだ?」
という本質的な疑問も出てきた。
国家とは個人と社会が安全平和に暮らすためのインフラを提供するシステムである。
そして民主主義とは、個人と社会の自由を最も尊重したフレームワークである。

地政学の中核にあるエネルギー所有権の問題と縄張り争いを民主的にいかに解決するか、国家がそれにどう対応するかという課題から、国家、民主主義の本質を問う疑問が現れてくる。

今回のロシア・ウクライナ戦争が見せているように、「悪者国家×正義の連合軍」という、古くからある対立の構図が浮かび上がってくる。

「何者にも属さないノーマンズ・ランドは興味深い」
という意見も出た。
人が住まず、国境線も存在しない放置された土地がノーマンズ・ランドだ。
そこから石油やレアアースが発見されたら、発見した人は「うちの国だ!」という主張をはじめる。
そしてノーマンズ・ランドは、正式な国家へと格上げされるプロセスを経る。
そのプロセスの中で紛争が起こる。

「領地拡大欲とは生産拡大欲である。こうした欲から国民国家は成立した」
という見解は納得がいく。
拡大欲が国民国家を成立させるという、国民国家の成立にはそもそも侵略の性質が組み込まれているという見解だ。
そこに関連し昨今は、サステナブルやシェアリング、分散自律といった新しいパラダイムが注目を浴びている。

「なぜ、国家はエネルギーをめぐって争うのか?」という疑問に、
「エネルギーとは、富と生命の源泉であるから。」という明快な意見が聞こえてきた。
人類は富と生命の源泉をめぐって戦争を繰り返してきた。

「今回のウクライナ侵攻に関し、資源、食糧、核という3つを持っている中国から目を離せない」という意見は、世界が持つ共通の危機感である。
この危機感は米中関係の悪化と兄弟関係にある。

「作中に「日本」という単語が出てこない」という発見は、日本の世界的なプレゼンスの低下を意味している。
GDP世界第3位とはいえ、未来展望やダイナミズムにおいて、日本は世界から魅力ある国家ではなくなってしまったのである。

「ロシアのウクライナへの恨みは、ロシアのユーラシア主義にあるはず」
という意見は興味深い。
ロシアはソビエト連邦時代、東のヨーロッパになろうとして頑張っていた(当時は「ソ連東欧諸国」と呼ばれていた)。
この時代、ウクライナソビエト連邦の一共和国であった。
その意味で今回の戦争は、「もともとうちの国だったのに勝手な行動を取りやがって」というロシア人たちのマインドがウクライナに反映した悲劇である。

「ビジネスと戦争には“ゴールがある”という共通点がある」とは、なるほどである。
ビジネスは基本、兵站・戦略・戦術という戦争メタファーで動いている。
死活問題という言葉もビジネスではよく使われるが、ビジネスはまさに戦争である。
より正確に言えば、戦争メタファーで動いているのはビジネスというよりも経営である。
経営において兵站・戦略・戦術が尽きれば、即、ゲーム・オーバーである。

地政学とは国家盛衰を現した図面である
今回の副読本から、「カール・シュミットが法学者であるのは興味深い」という意見があがった。
カール・シュミットといえば地政学の生みの親だが、土地やエネルギーの所有を定義する「法」の観点から、戦争の時代に世界をとらえたゆえの、地政学なのである。

イギリスのシーパワー、中東とイギリス人という話題が出た際に、
ハルフォード・マッキンダー(1861~1947)、アルフレッド・マハン(1840~1914)」という2人の名前があがった。

時代と資源に話題がおよぶ。
「時代とともに資源のトレンドはシェール、リチウム、水素、レアアースなどと変遷し、同時に資源をめぐるマインドも変遷している。そこで利権を取り合う紛争が発生し、その際に誰と連合するのか、という課題が出てくる」
という意見が出てきた。

地政学の変遷は資源のトレンドと深く関係している。
まったく見向きもされなかった国家が資源で力を持つ。
その逆もまたしかりである。

話題は地政学から少し離れて、開国以前の日本における国境に移った。

「その時代の日本の国とは大将の首であり城であった」は大変わかりやすい。
人は大将の首をとった人物についていき、その人物の周囲に人が住み着きはじめる。
国は城壁であったり、お濠であったり、もしくは大将を支持する人の集落の周縁かもしれない。
日本の国境の概念は、ものすごくゆるいのだと、改めて認識するにいたった。

「日本人にはそもそも、命がけで超える国境という概念はないだろう」という意見が突然出てきた。
入鉄砲出女というぐらい関所越えは緊張感が高かったが、東西冷戦時代の東ドイツ人がエンジン付きハンググライダーで西ドイツに亡命したり、冷戦終了直前は「ヨーロッパ・ピクニック計画」と称してハンガリーからオーストリアに大量な旧共産圏国民が禁断の国境を渡っていった世界史を思い出す。
彼らの命がけの行動は旧共産圏の崩壊の引き金となるにいたった。

地政学とは大きなビジョンでとらえた現実そのもの。国取りの面白さもある」という意見もあった。
さすがに戦争まで起こると面白いとは不謹慎だが、エネルギーのトレンドをめぐって国家が強くなったり弱くなったり、他の国家と連合してまた強くなったりなど、国家盛衰の図面を現実として鮮明に見せてくれるのが地政学である。

第三次世界大戦はすでに始まっている
最後に、『新しい世界の資源地図: エネルギー・気候変動・国家の衝突』(ダニエル・ヤーギン 著)そのものについて少しだけ付け加えておく。

最近のベストセラーになっているように、非常にタイムリーな内容を詳細に調べ、かなりのパワーでまとめ上げられている。この情報量と分析力は素晴らしい。

2014年のクリミア併合からロシアとウクライナの関係が悪化したことを発端に、ウクライナに武器を共有するアメリカとロシアの関係も冷戦以降最悪となった。
こうした冒頭の話題から本編へ続くように、現在のロシア・ウクライナ戦争を予見した、ひいてはこれから起こりうる世界勢力地図の描き換えの図面がまとめられている。

作者のダニエル・ヤーギンからすると、地政学的にこの「あたりから火が上がる」ことは明らかだった。
ウクライナにはロシアからパイプラインがいくつも通っている。
ウクライナに相当額のパイプライン税を納めているプーチンとしては、飼い犬に手を噛まれたような心情であることや、米中関係の緊張をいっそう高める「一帯一路構想」など、昨今の世界情勢を読み解く判断材料に事欠かない。

地政学者など識者にとって、現在の世界情勢からお見通しだとは思うが、第三次世界大戦はすでにじまっているのだ。
第一次世界大戦はテクノロジーを駆使した初の世界大戦となり、それが第二次世界大戦まで続いた。

以降は核を持つことで東西大国がけん制し合い、アフリカや中東、南米などで局地的に代理戦争を行うことがもっぱらの戦争のスタイルだった。
そしていまは、核の保有を背景に、情報やエネルギーのスイッチを操作する(サイバー攻撃や金融システムの停止、パイプラインの停止……)ことで世界的な戦争、つまり世界大戦が成立している。

核という、広島と長崎や核実験を想起させる恐怖の心理的イメージを武器とし、情報やエネルギーといった生命にかかわる富をコントロールするという、新しい形態の世界大戦である。それが、いま起こっているのである。地政学を学ぶことで、新しい戦争の形態が浮かび上がってくる。

     * * *

さて、次回はまた視点を変えて、文学を取り上げる。
今回の戦争を鑑み、ウクライナ文学を取り上げることにする。
なかなか読書会で取り上げないと読まないだろうということで、ソビエト連邦時代のウクライナ文学の代表作、『巨匠とマルガリータ』(ブルガーコフ著)を取り上げることにする。

ウクライナ文学により、長引くウクライナ・ロシア戦争を自分事としてとらえることができるだろうか。

文学には、文字と文脈を通してその民族と歴史の核心に迫ることができる、強力なパワーが備わっている。
そのパワーを感じてみよう。
次回も、お楽しみに。

三津田治夫