本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

昭和の教育とは、いったいなんだったのだろうか。

近ごろは世の中が多様化し、教育の世界でも多様化に対応するべく、STEAM(Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Art(芸術)、Mathematics(数学))という言葉が使われ出している。

無意識に多様化という言葉を使ってしまったが、本来世の中は多様である。
人に目を向ければ百人百様であり、同一な人物など存在しない。
外に出れば庭に植わった樹木や塀の上を歩く猫、土手で跳ねるバッタなど、多種多様な動植物が目に入る。
こうした多様性は大昔からいままで変わらず存在した。
そしてある時点から急に「多様性」という言葉が使われ始めた。
言い換えると、ある時点から急に、誰かが意図的に、多様化の世界から、フォーマット化(≒規格化)の世界に切り替えてしまった、ともいえる。

いちばんの理由は、社会の安定運用のために、リーダーたちがランクや氏名といったフォーマットに人間を当てはめるようになった。
当てはめる基準はその人が生まれた土地や血筋、筋力や記憶力、コミュニケーション力といった身体能力など、さまざまである。

そしてその人の居住や周囲に植わる植物、飼う動物も、その人のフォーマットに見合ったものがデザインされ(住宅や動植物の見た目やイメージ、ランクやクラスなど)ている。

本来、人間や動植物にそんなフォーマットなど存在しなかった。
人間が社会的に生きていくために、そのようになってきた。
こうして、フォーマットづくりは、有史以来ずっと続けられてきた。

いまの日本のリーダーたちが備えるフォーマットを形成してきた時代が、昭和である。
昭和という時代になされた教育がフォーマットを作り、いまの時代のベースを築いてきた。

昭和から生まれた「多様性」という言葉
多様性という意味から昭和を見てみると、昭和は弱かった。
ゆえに「多様性」という言葉を乱発しているのは、昭和人であると考える。

私が受けてきた昭和の教育を振り返ってみる。
思い起こしても、大人たちは子供をフォーマットにはめることに専念していた。
「親や先生の言うことを素直に聞きなさい」とは、嫌になるほど言われた。
子供時代、私はその理由がさっぱりわからなかった。
「なぜ?」と問うと、しばしば大人から叱咤された。
服従させたいのではないかと、生意気にも子供心に疑っていた。

実際、素直に耳を傾け、物事を理解し、学歴や知恵を通してさまざまなフォーマットを手にした子供たちは、そうでない子供たちよりも、成長後は不自由の少ない幸福な人生を歩む傾向が高い。
少なくとも、落伍者や社会的アウトサイダーになる確率は、そうでない子供たちと比してかなり低い。
ゆえに、親や先生たちは、子供らのフォーマット化を積極的に推進する。

しかしここにきて、過去のフォーマット化といまの時代状況との間に、大きなずれが生じてきている。

残念な読書感想文と暴力による創造性の破壊
教育とフォーマット化に関し、私の聞いたことや個人的な記憶の中に、人間の創造性を潰す昭和教育のダークサイドがいくつかある。
一つは国語。
もう一つは図工である。

まず、夏休みの宿題の読書感想文が苦痛で仕方なかった、という話。趣旨に則り、正直に「感想」を書いたのに、担任から「違う」と否定され、以来、読書することが嫌になった、という話はよく聞く。
作品に対して抱いた印象や直感を否定することは、ある種の言葉狩りである。
さらに、「本を読むことは学習であり、娯楽ではない。だから本は読みたくない」という意見もたびたび耳にする。
これらは、昭和教育のダークサイドが後世におよぼした結果であろう。

もう一つ、私が小学4年生だったときの、強烈な記憶がある。
図工の時間、同級生のK君が、針金に新聞と紙粘土を巻きつけて絵具で着色した、非常にカラフルなキリンを創った。
作品を図工の教員に提出すると「こんなのダメ!」と、力任せに針金を両手で広げ、全生徒の前で作品を粉々に破壊した。
同級生はその場で泣き崩れ、号泣した。
立ち会った生徒たちは彼をあざけり笑い、以来彼のあだ名は「こんなのダメ」と命名され、いじめのターゲットにされた。
作品を否定された上にあだ名までつけられいじめの標的にされた彼は、とてもいたたまれない。

小学4年という重要な成長期に彼が得た体験は、のちの創造性にネガティブな影響を与えているはずだ。

図工は本来、自由な表現の楽しみを絵画や造形で学ぶ時間である。しかしK君のように本心から自由になると、「こんなのダメ!」となる。

こうした、少数の破壊的な教員から得た子供たちの体験の積み重ねが、創造性に距離を置くようなマインドを日本社会で重層的に形成していると想像する。

自由と創造、自他の違いを知ること
自由と創造は双子の兄弟だ。
命令や強制の中に創造はない。
自由になるためのチェックシートや資格試験も存在しない。
なぜなら自由とは、外からくるものではないから。
自分の内部からしか発しない。
しかし「こんなのダメ!やり直し」の教育を受けてきた日本人たちは、自由になるためのノウハウとしての答えを手に入れようとする。
ノウハウといった外部に託する。

チェックシートや資格試験は自由とは真逆の制約にある。
人のマインドやスキルを一定のフォーマットに当てはめ、評価するツールである。
フォーマットなしに人間は社会的な生活を営むことはできない。
憲法というフォーマットがあるから国家と国民は安泰だし、言語や数字というフォーマットがあるから人間同士がコミュニケーションし、社会やコミュニティを形成できる。
起業やアートといったゼロイチ(0→1)の世界にも、ある時点からフォーマットが必要になる。
つまり、物事を動かすにあたり、自由と制約は、両輪において初めて成立する。
言い換えると、クリエイション(自由)とオペレーション(制約)の関係に等しい。

日本の企業がイノベーションから遠のいていることや、政治経済の停滞は、クリエイション(自由)とオペレーション(制約、フォーマット)のバランスにひびが入っているからだと感じる。

人は生まれながらにして創造的である。
万人がピカソではあり得ない。
生きていること自体が創造的である。
道端に咲く野花に心を奪われるのは創造性だ。
創造性に制約をかけるのは言葉だ。
道端の野花に心を奪われたあなたがその本心を言葉にすると、「なんでまた、そんな花なんかに心を奪われるとは」と口にする人はいるだろう。
そこであなたは、「自分の感覚は間違っている?」となる。
自分の感覚の自由から離れ、他者の判断と認知の結果に身をゆだねる。
そして知らずのうちに、自分を喪失していく。

自分と他者の違いを知ること。
本来の自分が何者であるのかを知ることが、自由の第一歩だ。

昭和のノスタルジーから現実へ
フォーマット化により人は社会的に生きることができるようになった。
高い学歴や地位役職は、マイホームやマイカー、老後の安定が手に入る高い収入につながる。そこには自由と幸福がある。
そう考えられてきた。
少なくとも昭和までは。

これが「それだけじゃないだろ」と気づかれると同時に、多様性というキーワードが発見された。
マイホームがなくても、シェアハウスで信頼できる人たちと協調しあいながら生きていけば幸福ではないか。
車の所有欲を満たすために金銭を使うのならば、他を満たすために金銭を使いたい。ならばカーシェアリングでいいではないか。
老後だって「老いたから」と勝手に決めつけず、心身の健康さえ保持できれば社会で活動できる。
かつてはいずれも、シェアハウスなんてヒッピーで反社会的、せめて車ぐらいは持てないと甲斐性なしで格好悪い、老後は制約が多いから現預金がないとお先真っ暗、というマインドに人は支配されていた。
少なくとも昭和までは。

日本人はまだまだ昭和から脱しようとしない。
茹でガエル状態に甘んじている、とはよく言われる。
茹であがってしまう前に、そろそろ昭和の殻を破り、現実という外に出てみよう。

多様性を自分事として受け入れたあとの、第一歩の行動である。

三津田治夫