本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

世の「救いのなさ」を徹底して描いた奇書:『チリの地震』(ハインリヒ・フォン・クライスト 著、種村季弘 訳)

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恐ろしくまた美しい世界観
この本の文庫版が河出書房新社から出ているが、読んだのはオリジナルの王国社版。
クライストは1777~1811年までドイツで活動した作家だから、ちょうどゲーテが28歳あたりから61歳だったころまで生きていたことになる。
クライストの年代から見ると、ゲーテの人生にちょうどすっぽり入り込んだ形だ。
20年以上経ってクライストを読み返し、この作家の特異さ、天才性がようやく理解できた。
文体や文脈が独特かつ緻密。
はじめはなんだかわかりづらい。
が、腰を落ち着けページを進めるごとに、その緻密な文体と文脈が迫力を増して迫り、あるときから急に物語の世界観が開けてくる。
それの世界観は恐ろしく、また、美しい。

クライストの作風には、のちの推理小説怪奇小説のベースとなった技法(物語や題材、描写)がふんだんに織り込まれている。
それゆえにストーリーをすべて書いてしまうとネタバレになるが(まあ、古典なので、物語はすでに知れ渡っている、ともいえるが)、総じて、奇想天外な物語である。

奇想天外なクライストらしい作品たち
表題となっている『チリの地震』はまさに彼の作風の典型。
突如起こった大地震で街は瓦礫と化し人々は命を失うが、生き別れて死刑を宣告された女とその悲しみに自殺を試みた男の恋人同士が地震をきっかけに命拾いし再会するという物語だ。
もちろん、話がそれで終わらないのがクライストのすごいところだが。

その他、『聖ドミンゴ島の婚約』は黒人社会に入り込んだ白人男と黒人少女の愛の悲劇で、これもまたすごい。
ロカルノの女乞食』は緊張感の高い文体で名作の誉れが高い数ページの怪奇小説
『拾い子』もいままでに読んだことのない展開。
疫病の感染で息子を失った夫婦がその感染源の子供を引き取り養育するのだが、養子の成長とともに、両親の人生に災いと悲劇をもたらす。
『聖ツェツィーリエあるいは音楽の魔力』は、教会の祝祭を破壊しようとやってきた愚連隊が聖歌を聞いて発狂し、敬虔な信者として精神病院に収容され延々と聖歌を歌い続けている話。
『決闘』はクライスト作品の白眉。
中世の騎士が名誉を賭けて決闘を繰り広げるが、その背後に虚実と欺瞞、人間関係の機微が潜む、奇想天外な物語。

「救いのない世を受け容れよ」というメッセージか?
総じて、クライストの作品は「悪魔的」と評される。
悪魔的といわれても悪魔を知らない我々日本人にはピンとこない。
わかりやすく言えば、「運命とはなんだ」という疑問が全作品に埋め込まれている、か。
キリスト教圏の西洋人がクライストの作品を読むと、「私たちの神とはなんだ」という深い疑問に陥るはずだ。
つまり、善行が必ずしも善という結果を生むわけでもなく、悪行が必ずしも悪という結果を生むわけでもない。
そんなもの人間のコントロール埒外である。
だから、「万物は神のみぞ知る」、ということになる。
ある意味救いがない。
その救いのなさをクライストは文学という芸術にまで昇華させた。
そして、「救いのない世の中を素直に受け入れ、生きることが、人間の救い」という、新しい視点を提示してくれる。

いわずもがな読み物としての質は非常に高く、この手の作風に興味のある方にはオススメである。

三津田治夫