本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

読みました:『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』(トーマス・マン著)

未完の中編ながらも、実は、本作は名著『魔の山』『ヴェニスに死す』にはめ込む挿話として構想されていたものだという。1922~1937年の作品。

トーマス・マン独特の、言葉をこねくり回したような表現と、この時代のドイツ語文学ならではの描写や文脈が盛りだくさんで面白い。
トーマス・マンはどこが面白いのかまったくわからない作家だったが、読めば読むほどその文体と深みにとらわれていく。

ちなみに「トーマス・マン面白いぞスイッチ」が入った体験は、長編『ブッデンブローク家の人々』との出会いであった。これは是非の一読をお薦めする。ちなみに興味が尽きず、北杜夫の『楡家の人々』まで読んでしまった。

『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』は書名にもある通り、主人公が詐欺師という設定。
詐欺師とドイツ文学の関係は深く、文豪ゲーテが当時の大詐欺師カリオストロをおしのびで取材に行ったときの記録を『イタリア紀行』に記したのは有名な話だ。のちにゲーテカリオストロを主人公にした『大コフタ』という戯曲を残している。トーマス・マンが詐欺師に着目したのは、ゲーテの影響が大きかったことは明らかだ。

断筆されたゆえに、フェーリクス・クルルが詐欺師として活躍するという話にまでには残念ながら至っていないが、少年時代に瞳孔を収縮させる術を編み出したり、さまざまな衣装に着替えて人の心を動かすテクニックを身につけるなど、詐欺師としての素養が積み上げられていく過程が細かく描かれている。
子供時代に積み上げられた身体変幻術は青年時代の徴兵検査の際に活用され、めでたく兵役忌避が達成されるというところで話が終わる。

もし、詐欺師というアウトサイダーが主人公の長編として『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』が上梓され、『魔の山』『ヴェニスに死す』がその一挿話として組み込まれるという形態で発表されていたら、どんな世界文学史になっていただろうか。
文庫にしたらおそらく6巻本ほどの『ヨセフとその兄弟』並みの詐欺師大河小説になったいたはずだ。
こんな出版方法を出版社はまず許さないだろうが、文学史のタラレバを考えていると興味に尽きない。

以下本文から、トーマス・マンならではの文体で語られた詐欺師像について引用する(佐藤晃一訳)。

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何ら高い真理に基づかない真赤な嘘にすぎないようなごまかしは、すべて無器用で不完全で、誰の眼にも見抜かれてしまう。はしからはしまで詐欺の名に値するというのではなく、完全に現実の世界にはいりこんでいるわけではないのだが生き生きとしていて、世間に認められ受入れられるのに必要な物質的特徴を持っている真理が仕掛けるものにほかならぬような詐欺だけが、ひとびとのあいだで成功し撥刺たる効果を持つ見込みがあるのだ。
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読むと、ビジネス、マーケティング、テレビショッピングの手法が、すでに100年前にトーマス・マンの手で言語化されていることがわかる。

偉大な芸術家は、人間が持つ原理原則を見通し、文字という制約の高いメディアを使い、人間の本質を共有する天才である。本作を読んで芸術家の底力を改めて感じた。

三津田治夫