本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

『リチャード三世』を読みました ~イングランド・シェイクスピア・デスメタルの深い関係~

10月に亡くなった友人の元Toransgressor(トランスグレッサー)Bass、キクちゃんが住んでいたストラトフォード・アポン・エイヴォンの作家、シェイクスピア『リチャード三世』を読んでいた。

シェイクスピアの悲劇といえば『ハムレット』や『マクベス』『リア王』『ロミオとジュリエット』といった、主人公の心理葛藤が描き出された作品群を想起するが、この『リチャード三世』は、心理よりも身体行動が先行する作品。同名の主人公が欲望を満たすために悪徳の限りを尽くす流血悲劇だ。

シェイクスピアってこんな作風だったか、と思いつつ、ふと、『タイタス・アンドロニカス』を思い出した。これもまたひどい流血悲劇。

そして調べると、『リチャード三世』は彼にとっての初期の作品であり、この前作が処女作の『ヘンリー六世』であるという。どおりで、『リチャード三世』には「ヘンリー六世」の記述が多い。

スコットランド女王メアリー・ステュアートの生涯は、シェイクスピアマクベス夫人のモチーフを提供したといわれている。彼の同時代人ゆえ、メアリー・ステュアートの生きざまが、その他多くのアイデアを提供したであろうことは想像がつく。

メアリー・ステュアートの人生も、エリザベス一世との女同士の権力の戦いの中で、血で血を洗う悲劇の連続だ。
20代前半でメアリー・ステュアートの処刑をリアルタイムで知ったシェイクスピアにとって、メアリー・ステュアートほどインスピレーションを掻き立てる女子はいなかっただろう。

こうした史実が、アーティストの手でドラマとして記述され、500年近くも連綿と演じられ、歴史と人物が人口に膾炙しているイングランドという島国は、神と伝説の国である日本とは大変な差異がある。

キクちゃんがアーティストとしてライフワークにしていたデスメタルも、死や運命、流血といった、人間を取り巻くネガティブな現実面を煮詰めた音楽、アートだ。
メタルの発生地であるイングランドが、流血悲劇作家の国であるという点でつながってくる。

悲劇/喜劇も美/醜も、アーティストの手で受け手が受容できうる整合性さえとられれば、すべては作品になりうる。
その意味でもキクちゃんは、音楽の作り手として、ジャケットなどアートワークのつくり手として、彼は本物のアーティストだった。

ストラトフォード・アポン・エイヴォンシェイクスピア/キクちゃん」の三題噺ではないが、『リチャード三世』から見えてきた風景を、キクちゃんのご冥福を心から祈りながらまとめてみた。

三津田治夫