本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

第26回飯田橋読書会の記録:『山椒魚戦争』(カレル・チャペック著) ~「大人の寓話」の古典を堪能~

f:id:tech-dialoge:20200130173854j:plain

今回は、チェコ文学の巨匠、カレル・チャペック山椒魚戦争』を取り上げた。
チャペックの作品では、ロボットという造語をはじめて使った戯曲『R.U.R』(ロッサム博士のユニバーサルロボット)が有名である。
チャペックは、第2次世界大戦前という時代にロボットという概念を言語化した、いうなれば鬼才である。

名作のあらすじ
山椒魚戦争』のあらすじは次の通り。
あるときインドネシアで人間の言葉を理解し器用に手を使う山椒魚が発見された。
その利用価値を見だした人間が、山椒魚に海底から真珠を探してくることを教え込む。
すると山椒魚はそれをよく理解し、真珠を大量に採集してくる。
それに目を付けた事業家は山椒魚による真珠事業に乗り出す。
事業は見事成功、山椒魚も人間もWin-Winの関係を構築する。
同時に、山椒魚は知性を持ちはじめる。

ある日、アメリカで陸地が広く水没するという大規模な地震が起こった。
続いて地震は中国とアフリカで起こる。
のちに犯行声明が山椒魚総統から発せられ、事件は知性を持った山椒魚の仕業であることが発覚。
彼らには生活のための浅瀬が必要であり、それには人間が住む陸地を奪うことが必至である。
各国の人間はこれに反撃を加えるものの、山椒魚海上封鎖を行うなど海域争奪戦に乗り出す。
すると山椒魚に利権が発生。
山椒魚内部でも紛争が起こる。
山椒魚も人間同様、しだいに人種と階級の差別をしはじめる。
そしておのおのが激しく対立し、闘争は泥沼化する。
エンディングでは「いずれ山椒魚たちは内戦を始めて滅亡するだろう」というメッセージが投げかけられ、そして最後に、「そこから先は誰にもわからない」という言葉で作品は幕を閉じる。

グロテスクな外観の両生類に仮託したアンチユートピア小説
人間の山椒魚を利用してやろうという利己心と、尽きることのない欲望、さらには飼い犬に手を噛まれるように人間は山椒魚に反逆され、山椒魚たちも知性とともに利権と差別を人間から模倣して人種階級闘争をはじめ、滅亡の道を進みゆく。
人類史の興亡を山椒魚というグロテスクな外観の両生類に仮託したアンチユートピア小説である。

会場では相も変わらず闊達な意見が飛び交った。
作家として小説だけではなく戯曲、童話も書くチャペックは多才で、SF文学の旗手でもあり、その知識の広がりや教養の深さ、ブラックユーモアから、日本の作家にたとえると小松左京に近い、という意見があがった。

f:id:tech-dialoge:20200130173921j:plain

また、山椒魚という水棲の動物を人間にたとえた寓話的な構造が面白いという意見は複数あがった。
本の作りとしてもよくできている。
新聞記事が挿入されていたり、急に日本語が出てきたり、事典のように精細な図版が掲載されていたりと、おおよそ小説には似つかない表現が多い。
チャペックの先進性や斬新さが、視覚表現からも見て取ることができる。

ファシズムの時代である1935年に書かれたこの作品の中には、反全体主義や反大国主義の描写も多い。
山椒魚が増えすぎて生活のできる領土(浅瀬)が減少して生きていけなくなったり、山椒魚どうしが種の差別をはじめたり(領土の奪い合い)、教育を通して山椒魚の平均化をはかったり(全体主義)という描写は注目に値する。

f:id:tech-dialoge:20200130174115j:plain

作品の主人公の生活圏を海に設定した点が興味深い。
ちなみに、チェコスロバキアにはどこにも海がない。
この国に存在する大きな水は川であり、プラハを流れるヴァルタヴァ川、スメタナ交響曲で知られるモルダウが、彼らにとっての海のメタファーである。

アンチユートピア小説が人類に向けたメッセージはつねに「世の中は悪くなっている。だから気を付けろ」である。
言い換えると、「満足はよくない」という、知識人が民衆に向けて鳴らした警鐘である。
日本に目を向けると鎌倉時代、世の中はもはや終わりという「末法思想」が世を席巻した。
日蓮は『立正安国論』を執筆し、「日本は蒙古に攻め取られ大変なことになる。だから流行りの新興宗教は捨てて、私の信仰に従いなさい」と説教し、死刑をまのがれ、さらには佐渡流刑から奇跡的な生還を遂げ信者を率い、日蓮宗の一大教祖になる。
民衆の危機感と日蓮の投げかけるアンチユートピアがおおいに合致した結果が宗教という新たな物語を生み出した。

山椒魚戦争』は大人の寓話である
一方で、会場から出た言葉で、「危機感をあおると物語は売れる」があった。
ノストラダムスの大予言』や小松左京の『日本沈没』も、「危機感をあおると物語は売れる」の結果である。
山椒魚戦争』もこれに近しいものがある。

しかし会場からは、「実際に世の中はそう悪くなっていない」という理性的な発言もあった。
なるほど、である。
天然痘は撲滅し、社会から極端な格差や貧困、飢餓は日々減少してきている。
それでも人間は、「戦争と飢餓はなくそう」を、永遠に唱え続けなければならない。
気づいていないだけで、戦争と飢餓にとってかわる新たな危機に、人間はすでに遭遇している。

会場で一致した見解は、「『山椒魚戦争』は大人の寓話である」であった。
絵本のような、イメージのつきやすいわかりやすい描写で、しかも、「○○思想、××主義」といった、「教条」に作品をはめ込まない。ここがチャペックの偉大さである。
言い換えると思想に軸がなく、ふわっとした平和主義、反権力主義思想が作中に漂っている。
だからこそ、100年近くたったいまでも、国境や時代を超えて読み継がれている作品であるともいえる。

最後に、チャペックは『山椒魚戦争』を通し、海という「環境」の破壊を取り扱った作家であることを指摘する。
山椒魚が知性を手に入れて人間化し自滅の道を歩む物語は、海と陸という二元構造の中で進んでいく。
「教条」に作品をはめ込まない分、チャペックは海という一つの宇宙を作品の中に構築し、その宇宙を背景に教条を超えたメッセージを読者に伝えようとした。

この作家は、戦後に生きていたらいったいどんな作品を書いていたのだろうか?
誠に興味に尽きない。

三津田治夫