本とITを研究する

「本とITを研究する会」のブログです。古今東西の本を読み、勉強会などでの学びを通し、本とITと私たちの未来を考えていきます。

鎌倉仏教が教える、企業経営に流れる宗教性と精神性:『立正安国論』(日蓮 著)

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会社勤めのころからビジネス書や経営者向けの本をたびたび読んできたが、実際独立するにおよんで、この本ほどいまの心に響くものがなかったことを告白する。

立正安国論』とは日蓮鎌倉幕府に提出した檄文である。
そして日蓮とは日蓮宗の宗祖で、宗教家である。

中公新書版の本書には『立正安国論』のほかに、流刑先の佐渡で語られた心情や支援者たちへの謝礼の手紙、弟子への手紙など、日蓮の人となりがうかがえる貴重な文書が収められている。

多くの経文を自由に読み解き伝える文章家としての彼の天才性や、二度の流刑におよんで生き延びた彼の体力や精神力は奇跡以外のなにものでもない。

真言宗をはじめ、当時の新興宗教である浄土宗や曹洞宗も全否定し、「法華経あるのみ」という姿勢を一貫して崩さなかった日蓮ゆえ、非常に戦闘的で過激な宗教家であると歴史的にはとらえられている。

しかしふと、彼の文面を読んでいてほうふつさせられたのは、ニーチェの『この人を見よ』である。
腐敗した現代社会を救える力は自分にしかないと言わんばかりの、ある種の狂気にも似た迫力がある。

リーダーたるや、何度も暗殺の憂き目にあって、反対者にもめげず、孤立してでも最後まで戦い抜く力がないとそのお役目はつとまらない。
本書を読んで強く感じた。

同時に、経営者と宗教家のアナロジーも、ここで強く感じた。
パナソニック創業者の松下幸之助のエピソードにこういうものがある。
あるとき建造中の天理教の施設を訪問する機会があった。
そこで信者たちが無償で、笑顔で生き生きと汗水流しながら材木や土砂を運んでいる姿を見た。
松下幸之助はその光景を目にしたとき、「これが経営だ」と、すとんと腹落ちしたらしい。

経営者の発信する情報に帰依し、待遇や給与の多寡にかかわらず笑顔で生き生きと働ける職場と精神の状態を提供する。
こうした教祖としてのスキルが経営者には必要である。
これを松下幸之助は鋭く見抜き、経営に実装し、日本の資本主義経済の基盤と大企業集団を創造した。

経営の神様と言われる松下幸之助は、換言すれば、経営教の教祖である。
経営は科学というが、その根底には深く宗教が備わっている。
参考として、経営と宗教性との深い関連について、以下のエントリーをご参照いただけたら幸いである。

「非宗教的な精神性」が組織と人類を豊かにする:『ティール組織 ~マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現~』(フレデリック・ラルー著)

立正安国論』を読むにおよんで、経営と科学の背後に潜んだ、経営と宗教性、経営と精神性を、深く感じた次第である。

三津田治夫