(前編から続く)
台湾のテレビを見ながら日本のメディアのことを考えていると、ふと、日本の出版のことが思い浮かんだ。
出版業界も視聴率を求めるテレビ業界と同様、経営難で生き残るために必死で、短期で収益化できる本が評価される傾向が日増しに高まっている。
◎台北のメディア企業の広告。「台灣的眼晴」という言葉がなんとも印象的
そして、短期で収益化できる本の多くは「面白い」。
食べ物で言ったら、甘くて柔らかく口触りのいいもの。
甘くて柔らかく口触りのいいものばかりを食べていると、歯や顎が弱る。
同様に、甘くて柔らかく口触りのいい本ばかりを読んでいると、思考が弱り、言語運用能力が低下する。
食べ物と同様、甘くて柔らかく口触りのいい本には存在意義はある。
また、読むこともよい。
しかし、それに「偏る」のは、明らかに上記の弱りや低下を引き起こす。
以前は、娯楽雑誌や趣味の書籍と共に、文学や哲学、思想の本も書店に並び、読者はバランスよく言葉を摂取していた。
言い換えると、娯楽と教養のバランスがとれていた。
しかし、そのバランスがいまや崩れている。
これは先人の嘆きというものではなく、台湾のメディア(テレビ)との比較において、はっきりと感じたことだ。
◎台北の書店にて。語学の学習書に人気が高い
以前の出版業界には、文学や哲学といった「地味だけれど人が生きるために必要な本」を支えるビジネスモデルが存在していた。それがいま、崩壊している。
最近は、個人が小さな書店を開いたり、ブックカフェを経営したり、小さな書店が同人誌を発行したりなど、いままでには見られなかった動きが出版業界に出てきている。
これは「地味だけれど人が生きるために必要な本」を人に届けるための、本そのものだけを収益の手段としない、新しいビジネスモデルだ。
作家の高橋源一郎さんが、「文学はなにに必要なのかと聞かれると即座に“生きるために必要”と答える。文学には生きるために必要な考えや言葉が詰まっている」と言っていたのが印象的だった。
私個人としても、「地味だけれど人が生きるために必要な本」をいかに人に届けるかが、大きな課題だ。そのための一活動として、人の目に触れづらい書籍をブログやSNSで紹介することを意図的に行っている。
とくに社会の頭脳を担うITエンジニアたちには、本をたくさん読んでもらいたい。
そんな思いを抱きながら、「本とITを研究する会」の運営を行っている。
私の経営する会社でも、「地味だけれど人が生きるために必要な本」を人に届けるためのビジネスモデルがいつか構築できたらと、活動している。
これは私のライフワークでもある。
似たようなゴール意識を持った同志たちがいつか集まることを、期待している。
(おわり)