(前編からの続き)
編集者のやりがい
ざっと、編集者の仕事の流れを見てきた。
編集という仕事を選んだ限り、やはり、やりがいは欲しい。
どんな仕事でも、給料をもらったり、売り上げがあがったときは、うれしく、ありがたい。そして、この仕事をやっていて良かったという感謝や、喜びに満たされる。
しかし、仕事はお金だけではない。
誇りにつながる、やりがいは重要である。
以下、私の個人的な経験から、編集者としてのやりがいをあげてみる。
・読者にありがとうと言われたとき
・著者にありがとうと言われたとき
・重版したとき
・著者さんと打ち上げをするとき
・書店員に喜ばれたとき
・社内に笑顔が増えたとき
・業界から賞をいただいたとき
・満足のいくものが作れたとき
私にとって、読者から「ありがとう」という言葉を聞くことこそが、編集者冥利につきる。「この本を担当してよかった」「編集者でよかった」と、心から思う瞬間である。
私はいまでも、編集者という仕事を選択してよかったと自負している。
編集の仕事のキモは、企画である
日本人は、形ある手に取れるモノを重視する。だから、自動車などモノづくりは強い、という声も聞かれた。同様に、日本人の(手に取ることのできない)コンテンツ文化は高度だという声も聞く。
編集者の仕事は一言でいうと、コンテンツを生み出す助産婦である。ゼロからイチを生む仕事のお手伝いをするプロデュースの仕事だ。
ゆえに編集の仕事自体には、形がない。
具体的なルーチン作業が見えづらい。
原稿整理や印刷所との交渉、版元(出版社)内部での折衝などのルーチン作業はあるが、これらは編集の仕事の中核(価値を生む部分)ではない。
「これ」というはっきりとした作業の中核が見えづらいから、「編集者ってなにをやっているのだろう」という疑問がよく聞かれるのだ。
しかししいて言えば、編集の仕事の中核(価値を生む部分)は、「企画」に尽きる。
企画は、体と頭を使うだけでできる。
大きなビルや設備機器、大人数での協業が必要なものではない。
企画は、体と頭一つでできる。
編集の仕事は可能性のカタマリである
編集者は企画書をつくり、人と人との間に立ち、なんでもする。
理論的には、天皇陛下に企画書を持って行き、執筆を依頼することだって可能だ。そしてその本が世に出され、世の中を変えることもできる。
テレビやWebの影響力は確かに強いが、本の影響力の強さは、捨てたものではない。
そのいちばんの理由は、情報が固定的で残るところにある。
情報が流動的なテレビやWebとは真逆である。
情報が固定的だから長期にわたる読み返しができる。
また、文脈を判断し、論理思考が可能だ。
そして商業出版物にいたっては、編集制作者の査読が入る。これにより、情報の正確性が底上げされる。
このように編集の仕事は、形がないものに価値が発見される時代の職業、企画という形のないものに本としての価値を与える職業であるともいえる。
人と人をつなげ、人と情報をつなげる編集という仕事は面白い。そしていまや、テクノロジーを通して人と人とをつなげることができる。誰もが編集者になれる時代だ。
自分だけの小さな書店を開いてもよい。
そこで仲間と同人誌を作ってもよい。
自分のやりたいことを企画し、モノを集め、人を集め、情報を集め、オンラインやオフラインで勉強会をやってもよい。
なんでも編集し、新しい時代をつくろう。
お金にすることはもちろん重要だ。
しかし、もっと自由に、ワクワクと、行動を起こすことがより重要な時代である。
なにがお金になるのかわからない。
行動を起こすこと。
行動こそ、お金に勝るものはない。
(おわり)